
あるお宿で念願の食事処をリニューアルすることが決まりました。30年ぶりの着手です。金融機関からも予算の範囲を含めた合意が出ています。あとは施工業者の見積もりを提出すれば、融資が実行される段取りになっています。
お宿の経営者は自分が思い描く理想の食事処のイメージを、空間デザイナーへ熱心に伝えています。
数カ月後、経営者が納得するデザインが出来上がり、施工の見積もりをもとに、いよいよ工事が始まります。
この段階で幹部会が開かれ、経営者が食事処の図面を幹部に初めて披露し、料理長へこの食事処に合うような器のセレクトと、夕食メニュー開発を指示しました。今回の目的は単価3千円アッププランの新設です。コンベンションホールでダイニングテーブルを並べた従来のスタンダード和食プランとは別に、中宴会場を改装した新食事処での最高金額のグレードです。
料理長は都会的な食事処のイメージに見合うような、斬新な和洋折衷の器を何種類か発注し、料理のメニュー開発を行いました。そして工事も進み、完成2週間前に試食会が開かれました。
料理長は新作料理と提供方法について、接客係に説明し、経営者が最終決定をします。
経営者はオープン間近でもあるため、若干の修正を指示しただけで、全体のOKを出しました。
実に30年間、修繕のみで何とか施設を維持してきたお宿です。この状況を何とか打開したいと、長年悔しい思いをしてきたこのお宿の経営者にとって、ようやく食事処がリニューアルし、久々にうれしい気持ちでオープンを迎えたのでした。
さて、その後はどうなったのでしょうか。予想外のことが続出してしまったのです。器が大きすぎてテーブルにいくつも食器が載らず、提供回数が思いのほか増えました。重くて形にこだわった器のため、洗い場での破損が目立つようになりました。また接客係の作業効率が悪く、このシフトに入りたくないとするベテラン接客係が続出しました。
客単価を3千円上げてのプランは当初は順調な入り込みだったのですが、今回のリニューアルは食事処だけ。客室やその他パブリック施設は元のままなので、全体のバランスの悪さが皮肉にも目立つようになりました。口コミ評価には、「頑張っているのは分かるけれど、なにかちぐはぐ」。これが高額プランのお客さまの声でした。
長い間定番和食料理ばかりを作ってきた料理長は、今回背伸びをしたのか、そのあとメニューの引き出しが続かず、失速ぎみです。
この新しい食事処は、経営者や料理長の「ひらめきの集大成」だったのです。それが商品としてお客さまに提供されたときに、お客さまからどのような反応が出てくるのか、オペレーションとしてうまく機能するかどうかはほとんど気にもかけなかったのです。
経営者がお宿のお客さまをイメージし、それに合致した新商品を造成していく場合は、うまくいく確率が上がります。しかし、自分の理想とお客さまの気持ちに大きなずれがある場合は、全く別の方向に向かう危険性があります。
経営者の理想を具現化すること自体は悪くはありません。わが宿のお客さまが喜ぶ食事のシーンを具現化し、それに自分の理想を重ね合わせる。このことが欠落してしまうと、せっかくのリニューアルが台無しになってしまうことがあります。
失敗の法則その48
自己満足のみに走ったリニューアルは、お客さまに受け入れられないリスクがある。
その結果、こんなはずではなかったと、後悔することがある。
だから、リニューアルの目的は、お客さまの満足をより高めることであると明言する。
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(観光経済新聞2025年4月14日号掲載コラム)