日本各地、世界中の温泉を取材して、一心に温泉と向き合い20年以上がたちました。
そんな私の大きな後悔が、体の不自由だった妹を温泉に連れて行けずに見送ったこと。この後悔が原動力となり、今では「バリアフリー温泉」を取材し、伝えることをライフワークにしていることは、たびたびこの連載でもつづってきました。
それが、今では父は79歳、母が74歳。新潟の長岡で暮らす両親の「介護」を意識し始めています。父が半年間ほど入院していた時は、「治ったら、温泉に行こうね」、これが両親と私の合言葉でした。無事に回復し、念願の温泉へ行けることに。私も両親と一緒にバリアフリー温泉を利用する当事者になりました。これを名付けて、「親孝行温泉」。親孝行は普遍的な感情ですから、読者にはバリアフリー温泉と呼ぶよりも親しみを感じていただいているようです。
さて、どの宿に行こうか、両親に相談すると、実家から車で1時間ほどの湯田上温泉「ホテル小柳」がいいと言います。元気だったころに行ったことがある宿です。
そして父は「あの子に会いてぇなぁ~」と言います。あの子とは、私の友人でもあり、ホテル小柳の若女将の野澤奈央さんのことです。母も「近くにも旅館はたくさんあるけど、小柳がいい」と言います。
ホテル小柳に到着して、ラウンジで休んでいると、両親が会いたかった奈央ちゃんが、「お父さん、どう? 大丈夫?」と、顔を見せてくれました。奈央ちゃんを見た瞬間、、両親の顔が晴れやかに。
ホテル小柳は、全国で知られた大人気宿ではありません。けれど、1年を通して客室稼働率がとても高い宿。それは新潟県民の気質を良く捉えているからです。
「『また来たい』と思ってもらいたくて仕事をしています」と若女将は言います。その効果か、「月に一度泊まりに来るお客さまもいますし、ランチは月に何度も来て下さる方もいます。日曜から木曜はリピーターさんでもっています」
夕食、朝食はビュッフェスタイルで1泊8千円以内で宿泊できる。「誕生日はコースのお料理を食べようかとか、来訪の目的に合わせてお食事を選ばれるお客さまもいますよ」
ホテル小柳は「朝食とお風呂」「ランチとお風呂」(2千円)もやっているので、常にお客さんがいる状態。さらには少し遠方でも無料送迎のシャトルバスを出します。
そうした高齢者のリピーターに向けた対応の一つがバリアフリー化です。
「やってあげたいという気持ちがあるけれど、多様なお客さまの対応が本当に大変です」とは、本音でしょう。
母はこうも言いました。「迎えてくれた時に、『いらっしゃいませ』じゃなく『お父さん大丈夫』って言ってくれたじゃない。ああいう気持ちがあるのがホテル小柳なんだよね」
宿泊は低価格。朝ごはん、昼ごはんと、用途に合わせた使いやすさがある。さらに足まで用意してもらえる。近隣で暮らす人には好条件しかありません。でも、集客力の本当の理由は「やってあげたい」という気持ちが全面に現れているからでしょうね。私の両親の心をわしづかみにしているのは、その気持ちです。
顧客満足度で成り立つ「ファンビジネス」は一般的な言葉になりましたが、ホテル小柳は見事なファンビジネスでした。
(温泉エッセイスト)