【座談会】石川県中能登町が見据える震災復興の未来図 町長や観光大使を交え対談


観光で能登全体の活性化へ

 石川県北東部、能登半島の中心部に位置する中能登町。2005年に鳥屋町、鹿島町、鹿西町の3町が合併して誕生し、繊維産業や農業が盛んな同町は、今年1月に発生した能登半島地震で震度6弱を観測。幸い地震による直接の死者は0人だったものの、道路や建物など数千カ所で被災した。現在も傷んだインフラ設備の再整備などを進めているが、町を復旧することに加え、観光を通した能登半島全体の活性化に向けた道筋も模索している。そこで今回は、町の復興に取り組む宮下為幸町長と、作家や女優として活躍しながら同町の観光大使を務める一青妙さん、同町出身で地域の復興を応援するNPO法人「OUEN Japan」団長の小林博重さん、副団長の黄英蘭さんによる4者座談会を開催。町の持つ観光資源や特産物などの魅力に触れながら、地域活性化を通した災害復興のビジョンについて語っていただいた(司会=本社編集長・森田淳)。

中能登町の魅力

――宮下町長にお尋ねします。中能登町はどんな町ですか。主な産業や観光資源、町の魅力について教えてください。

石川県中能登町 宮下為幸町長
石川県中能登町 宮下為幸町長

宮下 中能登町はちょうど石川県の真ん中に位置しています。三つの町が合併してできた町で、来年の3月で町制20周年。町全体は200メートルから500メートル程度の山に囲まれた盆地になっており、これらの周辺の山には低山地帯としては珍しく広大なブナ林が自生しています。

 産業は、繊維産業と農業が盛ん。特に農業は、全国で後継者問題が叫ばれている中、当町では若い30代の方が多数就農しています。町内にある「あんがとう農園」では、全国でも珍しい食用花の栽培をしているほか、今年からは、生産者の有志が手掛ける「能登つむぎ」というメロンをふるさと納税の返礼品として用意しています。赤肉が特徴のこのメロンは、能登が一つずつ復興を紡いでいくことを祈念して命名され、農家が栽培に取り組んでいます。

 米づくりも盛んで、中でも能登産コシヒカリと、県の独自ブランド「ひゃくまん穀」が有名です。町内には酒蔵が2件あり、日本酒(清酒)は「池月」という銘柄を石川の酒として東京の特約店などに卸しています。中能登町はどぶろく造りも盛んで、「太郎右衛門」「さえさ」といった銘柄は人気があります。中能登町は井戸を掘ればきれいな水が多く湧出するので、今後はそれを利用して中能登町独自の酒の製造・輸出にも注力していきたいと考えています。

中能登町で造られるどぶろく
中能登町で造られるどぶろく

中能登町で造られる日本酒(清酒)
中能登町で造られる日本酒(清酒)

 私は現在、町長として1期目を務めています。これまで保育料の完全無償化に取り組み、現在は企業誘致も推進しています。人口1万6千人程度の小さな町ですが、従業員250人以上の企業が4社あるほか、世界での市場シェア1位の企業や、近年注目されているEV産業のメーカーも進出していることもあり、最近は若い人たちにも注目されています。昨年、進学や就職などで町を出ていった若年層に対してアンケートを取った結果、約7割が「いつか中能登町に帰りたい」と回答をいただきました。若い層も地元愛が強いということの現れだと感じています。

 このほか史跡も多数点在しており、中でも4世紀後半から5世紀にかけて作られたとされる「雨の宮古墳群」や、能登の山岳信仰の拠点「石動山」などは有名です。コロナ前には観光バスも多数乗り入れており、昨年も22万人くらいの方が観光に訪れましたが、今年1月の能登半島地震で被災し、現在は復旧作業を行っている最中です。

――中能登町を訪れた人の主な宿泊先は。

宮下 和倉温泉に宿泊する人が多く、そこを起点に奥能登の方へ足を伸ばす人も見られます。町内に宿泊拠点を作る計画も進めており、現在は古民家タイプの宿泊施設が5軒ほどあります。地元の人だけでなく若い移住者の方々が町の支援制度を活用して古民家をリノベーションするケースも増えてきました。「碁石ヶ峰県立自然公園」には、子供たちが対象の宿泊施設「県立鹿島少年自然の家」もあり、大人も1泊3食付きで2千円ほどで宿泊できます。

 町内には1年中使用できる屋内スポーツ施設やサッカー場などもあり、学生などの合宿などでも利用されています。七尾市にも大きなグラウンドがありますが、中能登町で宿泊して、七尾で交流試合をするというケースも多いです。

各氏の中能登町との関わり

――中能登町の魅力とご自身の関わりについて、一青さん、小林さん、黄さんにお尋ねします。

石川県中能登町 観光大使 一青妙さん
石川県中能登町 観光大使 一青妙さん

一青 私が執筆したエッセイを原作とする映画『ママ、ごはんまだ?』が2017年に制作された際、撮影などで中能登町の方々に多大なご協力をいただきました。そのご縁で、現在は中能登町の観光大使をさせていただいています。

 私は父が台湾人、母が日本人です。母が中能登町にルーツを持っていて、苗字の「一青」は母の旧姓。合併前の鳥屋町に先祖の住まいがあったと聞いています。私の母も祖父も中能登町で暮らしたことはなく、私自身が中能登町を知ったのは中学生の頃。最初に訪問したときは、町内に「一青」という地名があることに驚いた記憶があります。自分のルーツがやはり中能登町にあるということを実感し、今では私の”第2のふるさと”です。

 中能登町を何度か訪れる中で一番の課題だと感じたのは、金沢と七尾の中間地点で便利ではある一方、通過されやすくもあるという点です。田園風景にJR七尾線の列車が走り、そこに雪が降る景色などは本当に美しい。町の方にとっては当たり前の景色も、この町を知らない人からすると素晴らしい光景に見える。そのあたりを、もっと違う形でアピールしていけたらよいと思います。

特定非営利活動法人 OUEN Japan 団長 小林博重さん
特定非営利活動法人 OUEN Japan 団長 小林博重さん

小林 私は現在、NPO法人「OUEN Japan」団長(理事長)として、地方自治体の協賛をいただき、日本人大学生・来日留学生と地元の企業との交流イベント「OUEN塾」を開催しています。福岡県からスタートし、私のふるさとである石川県でもコロナ禍でしたが、2020年(令和2年)9月にオンラインで開催しました。

 私は、合併前の鹿西町で生まれ、中学卒業の15歳まで住んでいました。高校は金沢、大学は東京だったこともあり、ふるさと能登に帰ることは盆正月くらいでした。

 中能登町には勤めるところもなく、能登の中では唯一海に面していない自治体であり、能登の売りである海はない、魅力ある自治体ではないと思ったこともあり、中能登町への足は遠のいていました。

 OUEN塾では、協賛企業は金沢や加賀地方の企業が多く、金沢の友人から「小林のふるさとの能登の企業にも協賛してもらうべきだ」と、何社か七尾の企業を紹介してもらいましたが、中能登町は素通りしていました。

 今年1月、能登半島地震に見舞われ、これを機に私の”ふるさと能登”への想いがふつふつと湧き上がってきたのでしょう。2月に宮下町長にお電話し、3月に中能登町役場を訪問しました。そして、町長から「きっと小林さんの人生の最後になるだろう。”ふるさと能登”のために、後半生を懸けてほしい」と言われました。

 古希を機に生前葬を執り行い、これからの第二生をいかに生きていくべきかを模索していた時でもありました。副団長の黄さんと毎月2泊3日で中能登町を訪問して、皆さんのお話を聴いたり、懐かしい中能登を体感したりして、能登への「思い」が「想い」になり、「念い」になってまいりました。「能登の復旧・復興、創生にはこれから20年~30年はかかるだろう。人生100年、100歳現役で中能登町、能登半島のために尽くすのが、私の人生後半戦のミッションなのだ」という思いが次第に募ってまいりました。

 「私が第一生で培ってきた人脈をフルに活用することで能登創生に貢献できるのではないか。一過性のボランティアを募るのもよいが、10年~20年~30年の長丁場で能登を応援していくには、応援される人と応援する人がWin Winになるビジネスにしていくことが不可欠だ。OUENの仲間たち(OUEN Company)の皆さんの応援で、能登を元気にしていきたい」。これが私の第二生のミッションだと思っています。
3月から半年間、中能登町に通ったことで、宮下町長から「”地方創生アドバイザー”という制度を中能登町で創るから、小林さんと黄さんにお願いしたい」とのお話をいただき、10月に拝命しました。

 11月からは、月末月初は東京、月半ばの2週間は中能登という2拠点生活をして、能登を応援していきたいと思います。OUEN Japan として古民家に住み、その古民家にOUENの仲間たち(OUEN Company)が集い、中能登町を拠点として、中能登町に限らず、隣接した自治体、奥能登地域まで含めた能登半島の創生を応援していきたいと思っています。

 中能登町には先祖代々の墓があります。生前葬を執り行い、東京南麻布で都市型納骨堂を求めました。中能登の墓を墓じまいしようと考えていた矢先に能登半島地震があり、現在に至っています。月の半分近くを中能登に住んで能登を応援しますので、墓じまいは止めました。私の骨は東京と能登に分骨してほしいというのが私の遺言です。これからの後半生は、次の世に旅立っても中能登町に私の魂が生き続けるような、そういう後半生を生き抜きたいと思っています。

特定非営利活動法人 OUEN Japan 副団長 黄英蘭さん
特定非営利活動法人 OUEN Japan 副団長 黄英蘭さん

 私は中国人として来日し、現在10年目。中能登町は今までどこにあるのか全く分からなかったのですが、小林団長と中能登町に向かっている間、山や緑が多い印象を受けました。能登は海のイメージがあったので、そこが強くイメージとして残っています。中能登町は、大手企業も進出しており、繊維産業が盛ん。特に手織りの織機を初めて見たときはインパクトがあり、「これは観光資源として活用するべきだ」と強く感じました。

 古民家も私のお気に入りです。すごく静かな空間でいながら、中にお邪魔すると複数の世代で一緒に生活をしている。これこそが「家族」「生活」の形だと感じました。こういう風景をなくしてほしくないし、これからも発信していきたい。それらの保存のためなら私はいくらでも頑張れると小林団長にも話しています。
私は現在長野県に住んでいますが、東京で仕事をしつつ、能登でボランティア活動をする、3拠点生活を送っています。私のように、古民家が好きな人は中国にもたくさんいます。そういった人たちに、中能登町の古民家を知ってもらいたいし、実際に声かけを行っています。

復興の現状と課題

――現在の復興状況と、今後のプランは。

宮下町長
宮下町長

宮下 災害直後は、約2週間続いた断水に苦しめられました。幸いだったのは、中能登町の水源は井戸水で、その水をくみ上げる配水管が3町合併時に国からの補助で耐震補強されていたこと。おかげで、短期間で上水道は復旧することができました。

 住居や建物は、約6800軒が被害を受けました。そのうち、住家の4200軒が一部損壊以上で、解体が必要な家屋は千軒ほどにのぼります。また、空き家も現在700軒ほどある。昭和56年以降に建てられた新耐震基準を満たす空き家は、国や県がみなし仮設住宅として買い取り、2年間の家賃を保証するという制度もスタートしています。

 新耐震基準を満たさない古い物件は公費解体を進めています。それらの建物が更地になった後、それをどういうふうに活用していくかが課題です。不動産業者を介して多拠点生活をする人たちに家を建ててもらうこともできるし、「空き地バンク」として売り出すという案も出てきています。仮設住宅として現在活用しているムービングハウスの設備は、宿泊施設として申し分ない。これらも将来的には多拠点生活の宿泊施設として活用できると考えています。

 道路の復旧も時間を要しています。地盤沈下したアスファルトを舗装し直す際、その下にある上下水道管も併せて工事をする必要がある。現在も600カ所以上の道路の補修が進んでおりません。

 現在も毎日のようにタウンミーティングを行っていますが、町民の皆さんからも早く直してほしいとの声をいただいています。応急処置として、地盤沈下した箇所にアスファルトのチップなどの注入を施していますが、この先5、6年くらいは元通りにならない見込みです。七尾や奥能登も含めると、おそらく10年くらいかかるのではないかと思います。

 復興プランの素案は完成しつつありますが、その作成にもお金がかかる。自分たちの財政調整基金を切り崩していくことになりますが、再び大地震が発生したときのことも考慮して慎重に計画を組まなければなりません。

 国からも復興基金として500から600億円ほど県に支給されましたが、そこから分配されていく中で、コミュニティ施設となる町内会館や神社のようなところはしっかり直していかなければならない。企業誘致も再度行っていかなければなりませんが、地盤復旧の課題も山積しています。全て元通りに戻すことはできるかもしれませんが、そこから町をさらに進化させるには大変なお金がかかる見通しです。

 今回の震災を機に、能登半島の多くの住民は金沢市などの県南部へ移住しています。また戻ってきてもらうために復旧を頑張っていますが、これが進むと能登から集落がなくなる可能性があります。東日本大震災の時と違い、能登は半島のため集落が孤立しやすい。人口減少や高齢化も踏まえると、奥能登は本当に過酷な状況に直面しています。今後は市役所や役場の周辺に集落を集約させ、観光に特化した地域づくりを目指すことも検討すべきなのかもしれません。

町のさらなる活性化に向けて

――町の復興に向けたアドバイスやメッセージをお願いします。

一青さん
一青さん

一青 能登はもともと観光産業で成り立っていた場所でもあります。現在、中能登町が復興拠点のハブとしての役割を担っているように、今後は中能登町が観光拠点の玄関口になれる。能登の皆さんは地域に対する愛着がある。ここを復興の象徴、シンボルとしていけるはずです。

 産業も完全に撤退するのではなく、さまざまな人を呼んで誘致を拡大することもできると思います。中能登町が中心となって、能登半島が元気になる―。もちろん中能登町だけでできることには限りがあるので、OUEN Japanと一緒に「オール能登」で新しい能登半島を作っていければよいと思います。

小林さん
小林さん

小林 OUEN Japanのミッションは、基礎自治体の枠を超えた広域連携を目指すことです。

 私と黄さんは“中能登町地方創生アドバイザー”をさせていただいていますが、中能登町の地方創生を考える時、近隣の自治体である七尾市、羽咋市、志賀町、富山県氷見市の地方創生が不可欠です。観光の観点から考えると分かりやすいでしょう。観光客は中能登町だけに来ることはない。能登半島という広域の観光地の中の中能登町です。

 それぞれの特長を合わせることによって、中能登町も強くなる。みんながWinになる。基礎自治体の枠を取り外して、周辺地域全体を見据えて行動に移すことこそ、それぞれの個性がより生きてくるのだと思います。すなわち、OUEN Japanのミッションは、「枠を取り壊して地方創生を応援する」ことです。内向きな施策ではなく、広域の地方創生を目指すことです。

 あと30年。その時私は102歳になりますが、このミッション達成にまい進することが、私が元気で長生きできる万能薬です。それが幸せであり、素晴らしい人生を送ることでもあります。

黄さん
黄さん

 私がまずできることとしては、中能登町をはじめとした能登の魅力を宣伝することだと思います。中国ではSNS「WeChat」を何億人もの人が使っているので、それを活用して自分の生活をアップし、能登での生活を意識してもらいたいし、見てもらいたい。実際、古民家生活に関する投稿はアクセスが多く、よく閲覧されています。10年も続ければファンもたくさん増えると思います。私は韓国語も話せるので、中国に限定せず幅広い地域に発信していきたいです。

 観光という面では、やはり中能登町が玄関口・観光拠点となればさまざまな観光地にアクセスできるということをイメージ付けできればと思います。中国から日本を訪れた観光客は、東京や大阪などの大都市に向かう傾向がありますが、能登や富山もあるんだよ、というメッセージを宣伝していきたいと考えています。

一青 私の出身地・台湾の台南市で以前大きな地震があったとき、私も台南市の親善大使として現地の復興支援に努めましたが、今年の能登半島地震では、台湾の方々からたくさんの支援金をいただきました。台湾とは元から緊密な交流がありましたが、こうした国際交流も今後は大事です。実際、奥能登を回るツアーも始まりました。能登独自の文化をさらに国内外へ発信し、そこに中能登町も組み込んでいければよいと思います。

 能登の人たちはあまり自ら声を上げずに、自分たちをアピールすることが苦手なところがあると思います。中能登町の「繊維の町」という異名も、あまり知られていない。工場見学など、実際に何かを体験するといった観光資源にできるかもしれません。町の両側に山がある地形を生かし、町主催のトレイルランなどのイベントも開催していますが、これもまだ宣伝が足りていないと思います。宮下町長や小林団長のように、まずは自分たちの故郷を愛し、地元の良さを発信することが大事。私自身、中能登町の観光大使になるまで気づかなかった良さがたくさんありました。

 中能登町は観光地として発展するポテンシャルを持っています。中能登に一度来てもらえれば、好きになってくれる人も多いと思います。今回の震災で能登の存在が世界から注目されました。ある意味でこれを「チャンス」ととらえ、「日本最古のおにぎりが出土したところだ」といったキャッチーなことも発信し、興味をもってもらえたらよいと思います。

座談会の様子

 

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