塩と赤穂義士の瀬戸内海の城下町
毎年12月になると、多くの人が押し寄せる町がある。12月14日、赤穂義士祭が催される「忠臣蔵のふるさと」播州赤穂である。
赤穂は江戸時代、常陸・笠間から転封の浅野長直が築いた赤穂城5万3千石の城下町。瀬戸内海沿岸の立地を生かした塩田開発による良質な「赤穂塩」で栄えた。
しかし3代当主・浅野内匠頭長矩が江戸城・松の廊下で吉良上野介義央を斬りつけたかどで切腹を命ぜられ、お家断絶。赤穂藩はその後も永井氏1代、森氏12代の城主で明治維新まで続くが、町は300余年後の今も義士一色である。
そんな気配を求めて降り立った播州赤穂駅。駅前でさっそく大石内蔵助銅像にご対面。白壁の家並みが続くお城通りでは主君刃傷の凶報をもって江戸から駆けつけた2人の家臣がひと息ついたと伝える息継ぎ井戸や「松の廊下・早かご・かちどき」の3場面を再現するカラクリ時計の義士あんどんを見物。少し西に歩いて宝物殿や木彫堂、墓所など義士づくめの浅野家菩提寺の花岳寺に立ち寄った。
赤穂城は南へ歩いて5分ほど。堀端に立つ復元の大手櫓を見て大手門をくぐった城内には、長大な大石邸跡長屋門やその屋敷跡に大石内蔵助と義士たちを祀る大石神社がある。義士の石像と「大願成就」ののぼりがずらりと並ぶ参道を抜けて本殿で柏手を打った。
境内にある宝物殿や資料館をのぞき、庭園を歩き、茶店でしばし憩う。そこで出会った47士の名前をすらすら挙げる忠臣蔵狂いと自称する年配夫婦。『仮名手本忠臣蔵』の仮名(いろは47文字)には義士の数が込めてあると教えてくれた。
本丸を歩きながら、主君の無念を晴らすべく元禄14年12月14日夜、筆頭家老大石内蔵助以下47浪士が江戸・吉良邸に討入りを果たし、全員切腹。浪士が義士に変わった忠誠物語の国民的人気を改めて考えた。
8日から1週間はイベント「忠臣蔵ウイーク」が企画されている。
(旅行作家)
●赤穂市産業観光課TEL0791(43)6839