時代変革の英傑を育んだ加治屋敷
明治維新150年に当たる今年。NHK大河ドラマは幕末・維新の英雄「西郷(せご)どん」の放映が始まった。それに先立つ昨年11月、鹿児島中央駅からナポリ通りを歩いて甲突川にかかる南洲橋を渡り、西郷隆盛の生誕地を訪ねた。
橋のたもとに建つ「維新ふるさと館」に入って、維新の三傑の2人の西郷隆盛や大久保利通、近代日本の黎明期に活躍した多くの人物、幕末の大奥を束ねた篤姫(天璋院)など薩摩の歴史をざっくり学んだ。係員の話では近くに1年間限定の大河ドラマ館が1月13日にオープンするという。
展示の後に川沿いの歴史ロードで、再現された二つ家と呼ばれる慎ましい武家屋敷をのぞく。城下のはずれのこの辺りは下級武士の居住地で、西郷も大久保もその身分の家に生まれた。
新政府でいくつかの大臣を務めた弟の西郷従道や従弟で陸軍大臣の大山巌、海軍大臣の東郷平八郎もここが誕生地である。
時代を動かした偉才がこの町に多数輩出したのは、薩摩藩独自の人材育成の郷中教育による。それは同じ地域(郷中)に住む14~25歳の青少年が、胸襟を開いて6、7歳の年下に儒学や武芸を教え、切磋琢磨し合う仕組みだ。教師はなく、人に教えることで自ら学も武も体も深め、強めた。
西郷隆盛は友情と信義で結ばれた大久保とともに大政奉還を果たし、江戸城無血開城など維新を成し遂げ、陸軍大将兼参議を務めた。だが2度の島流しや2度の自殺未遂、盟友大久保との対立など50年の波乱の生涯を自決で閉じた。
市内に数多くある西郷どんをしのばせる銅像や私学校跡、西郷洞窟、終焉の地、南洲墓地なども巡った。
面倒見がよく、人を分け隔てせず、義に厚く優しかったという西郷どんを慕う人は今も多く、ゆかりの地を訪れる人や供え花があった。今度のテレビドラマではどんな人物像で描かれるのだろう。
(旅行作家)
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