水運と街道で栄えた蔵が残る商都
栃木県南部の栃木市は、幕末から明治にかけて日光例幣使街道の宿場町や巴波川水運を利用した物資の集散で栄えた商都である。
商人たちは火災や盗難に備え、また商品保管や財力の誇示も含めて競って立派な蔵を建てた。それらが風雨に耐え、戦災に遭わず、今も多数残っている。
その町並みは駅から7~8分。巴波川の川岸に長々と続く黒板塀の豪壮な景観から始まる。木材回漕問屋で財を成した塚田家で、八つの蔵は塚田歴史伝説館として公開。筏に組んだ木材はここから利根川経由で江戸まで4日かけて運ばれたという。目の前の幸来橋にたたずんで観光客を乗せた遊覧船に昔日をしのんだ。
川から150メートルほど東側を南北に貫く例幣使街道沿いには雑貨や和菓子、衣服などの蔵造りの商家が連なる。その一つの幕末、明治、大正の蔵を活用した蔵の街観光館に立ち寄った。
話では市内には400軒を超す蔵があり、美術館や博物館、レストラン、商店などに使われているという。
『女の一生』『真実一路』で知られる小説家・山本有三の生家を公開したふるさと記念館もその一つで、土蔵造りの建物に生い立ちや愛用の机・椅子、直筆原稿の展示に見入った。
呉服商・山本家の長男として生まれたのは明治20年(1887)。地元の高等小学校を卒業した15歳で浅草の呉服商に奉公に出されるが、学業の思い止みがたく実家に逃げ帰る。どこか『路傍の石』を思わせる。
懇願して再び東京に出て一高文科から東京帝国大学独文科に入学。後に劇作家、小説家として名作を残したのはご存知の通りだ。山本家の菩提寺はすぐ近くの近龍寺にある。
駅前広場に立つ「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」の『路傍の石』の文学碑をもう一度読んだ。今更ながら心に響く一文である。
(旅行作家)
●栃木市観光協会TEL0282(25)2356