武家と豪商の屋敷が残る文化の香る町
伊勢参りの途次に久しぶりに松阪駅に降り立った。戦国時代、文武に優れた武将・蒲生氏郷によって礎が築かれた城下町である。
氏郷は商業の盛んな城下町経営を目指して諸国から商人や職人を集め、楽市楽座を開かせた。海寄りの伊勢参宮路を城下に引き込んでにぎわいを誘った。
その歴史風土を伝えるのが松坂城跡や御城番屋敷。松阪木綿などで巨富を築いた松阪商人たちの豪邸も繁栄ぶりを如実に物語る。
本町には三越でおなじみの三井家発祥の地や紙問屋で財を成した小津家の豪邸(松阪商人の館)がある。一筋西側の木綿問屋の長谷川家は非公開だが、外観だけでも圧倒される。
その近くにあるのが本居宣長旧宅の碑と跡地。生家の小津家は江戸店持ちの木綿商だが、長男・宣長の学問好きを見越して母は医学修業に京都へ送り出す。5年後に松阪に戻って小児科医を開き、72歳で没する9日前まで診察に当たった。
生涯現役の医師だが、敬慕していた先覚の賀茂真淵と出会い、古典・国学研究に目覚めて没頭し、学者として大きく名を極めた。
松坂城跡にある本居宣長記念館で、『古事記伝』44巻に35年を要したことや『源氏物語』に「もののあはれ」の日本人特有の美意識を見出すなど、数々の業績や人物像に敬服した。
隣に移築された旧宅(鈴屋)の店間や居間、台所などを見学。箱階段で上がる2階は古典研究に没頭した四畳半の書斎。見学不可だが、以前入れた時に目にしたのは慎ましい部屋だった。
宣長は気分転換や眠気払いにいろいろな鈴を集めて音を楽しんだ。鈴屋は自らの名付けである。
「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山さくら花」の歌碑がある本居宣長ノ宮や宣長夫妻が眠る樹敬寺を訪ねた。映画監督・小津安二郎と縁続きとも知った。
生涯の大半をこの町で送った本居宣長は松阪の土になり、“心”になって生き続けている。
(旅行作家)
●松阪市観光交流課TEL0598(53)4406