実り豊かな緑野と九十九里の海の町
「♪連れて逃げてよ、ついておいでよ、夕ぐれの雨が降る矢切の渡し」。細川たかしの唄で大ヒットした『矢切の渡し』(作詞石本美由起)。モチーフは青春小説の名作『野菊の墓』である。
松戸・矢切村を舞台にした15歳政夫と17歳民子の結ばれない淡く切ない恋物語で、ヒロインを山口百恵や松田聖子が演じた映画でも話題を呼んだ。
とはいえ作者の伊藤左千夫や、その故郷を知る人は多くはないだろう。そんなことを思いつつ、東京駅から特急で1時間の成東を訪ねた。イチゴやブドウ、ネギ、ニンジンなど果物・野菜が年中絶えない温暖で豊かな田園の町である。
左千夫(幸次郎)がその一角の殿台の大農の四男に生まれたのは幕末近い1864年。茅葺屋根の広壮な生家が今も保存されている。
「九十九里の波の遠鳴り日の光り青葉の村を一人来にけり」と詠んだ静かでのどかな里地だが、知的な代官酒井修敬らの影響で学問好きの風土があり、左千夫は14歳の時、佐瀬春圃の塾で漢籍を学ぶ。
18歳の時に政治家を志して上京。明治法律学校(明治大学)に入学するが、眼病で帰郷して農事に勤しむ。22歳の時、家出上京。牛乳屋を始め、やがて牧場経営を成功させ終生の生業とした。
生家前の歌碑の「牛飼いが歌よむ時に世の中の新しき歌おほいに起る」のように酪農の傍ら正岡子規らに和歌や俳句を学んだ。
隣接の山武市歴史民俗資料館2階の展示室では、左千夫の作品や遺品、斎藤茂吉や土屋文明らを育てた指導者であったことも知る。
「歌のヒットで左千夫の印象は松戸に持って行かれた」と苦笑する館長に教えられた徒歩3~4分の伊藤左千夫記念公園に立ち寄った。正夫・民子像や門下の茂吉、文明らの歌碑に存在感を強く印象づけられた。
駅前に立つ歌碑の「久々に家帰り見て故さとの今見る目には岡も河もよし」の歌からは愛郷の思いが伝わってきた。
(旅行作家)
●山武市観光協会TEL0475(82)7100