【日本ふるさと紀行11】島原市(長崎県)~「島原の子守唄」のふるさと 中尾隆之


歴史の光と影が揺れる湧水の城下町

 
 長崎県南東部の島原は雲仙普賢岳を背に、有明海を前に広がる風光に富んだ町である。松平藩7万石の城下町で、禄高に比して立派だった5層の天守閣や櫓は高い石垣や堀を除いて廃城令で破却。それが60余年前にコンクリート造りの復元ながら今に往時の威容を伝えている。

 城の西側の鉄砲町には石垣や茅葺きの武家屋敷が当時のままの姿を留め、通りの真ん中の水路には今もさらさらと清水が流れる。

 60カ所の湧水ポイントを数える島原は水の都。鯉の泳ぐ水路や池をもつ湧水館や四明荘がある。

 城郭風の島原駅に立ち寄ると、「♪おどみゃ島原の」で始まる島原の子守唄像があった。昔からの歌でなく、作られたのは昭和25~26年頃。作者は家業の土建会社社長と島原鉄道重役の仕事の過労で32歳の時に失明した宮崎康平さん。

 妻に家出され置いて行かれた赤ん坊を抱え、「♪早よ寝ろ、泣かんでおろろんばい」と自作の歌であやした。それを早稲田の学友で演劇仲間の森繁久彌さんが耳で覚えて広めてくれたと、40数年前、取材で自宅に伺った時ご本人から聞いた。

 その日は燃えるような夕焼けで、当時、大ヒットの小柳ルミ子の『わたしの城下町』の格子戸、子守唄、夕焼けが重なる。今でも私の中で二つの歌が響き合う。

 歌が心に染みるのは、東南アジアや中国へ売られて行った貧しい家の娘「からゆきさん」が歌い込まれているからだろう。多くの娘たちが島原の港から出て行ったという。

 宮崎さんは失明にも拘わらず後年、再婚の奥さんを杖と眼にして各地を訪ね、『まぼろしの邪馬台国』を書き著し、畿内説、九州説の論争を巻き起こした。

 島原はキリシタン弾圧や雲仙普賢岳の火砕流被害など哀しみを秘める町だが、静かな城下町を湧水が水音もやさしく清々しく洗う。心にしみる子守唄のふるさとである。
 (旅行作家)

 ●島原市しまばら観光おもてなし課TEL0957(62)8019

 
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