お茶の淹(い)れ方教室での多くの方々との出会い、ふれあいはありがたくうれしいものです。人を引きつける魅力がお茶には詰まっていると実感しています。
教室の準備の中心は、実習用の茶種とお菓子の選択、そしてお伝えする内容の確認です。理解しているつもりの事柄も再確認します。新しい事柄は当然、下調べが必須です。
「伝える」経験を積めば積むほど、自身の理解が深まるような気もします。時には誤りに気づき、未熟さ、浅はかさを反省することもあり、まさに「教えるとは学ぶこと」と痛感します。
「教える」とは、相手が理解して、初めて成り立つ行為です。自分が理解していることを話しただけでは、相手には何も伝わりません。「成績優秀な学生が必ずしも最高の家庭教師ではない」のと通じるものがあるかもしれません。たやすいことではありませんが、言葉を相手の心に届ける努力が必要と自分に言い聞かせています。
数年たった今でも、忘れられない記事があります。
「人の生き方は言葉遣いに表れます。人間はその時々に使う言葉以上にも以下にも生きてはいません。言葉は言い訳のできない心そのもの。人に不愉快を強いないために、自分の思いをできるだけわかりやすく伝え、相手の言う事を曲がって聞かないことが大切です。自分の体を通った言葉でなければ相手に届きません」
(竹西寛子氏「八五歳の『ことば』」日本経済新聞インタビューより引用)
言葉は大切、そして難しいとつくづく思います。