スマートフォンの世なのに、今さら、携帯電話の話? と笑われそうですが、携帯電話は使いません。持っていないと言えばうそになります。次女が「今時、外に出たら何があるか分からない。公衆電話も見かけなくなったし、とりあえず、出掛けるときは持ってた方が安心よ。発信機能だけ使う手もあるんだから」と、2年ほど前に買い与えてくれました。「いらない」といったんは断ったのですが、「老いては子に従え」の心境で、助言を受け入れました。通話料も向こう持ち。しかも、ほとんど料金は発生していないとのことで甘えていますが。
今の私の生活では、幸いなことに、携帯電話を使わずに済んでいます。仕事の日程は毎月の予定表に明記され、居場所は一目瞭然です。メールによる連絡はパソコンで。緊急時は固定電話で。お礼やご機嫌うかがいは、季節の切手を選ぶのも楽しみな郵便で。たまの外出では、せめて日常の事柄から離れたいので、行き先と帰宅予定時間だけを伝えて家を離れます。この解放感、結構捨て難いですよ。
友人たちは「化石みたいな人ね」とあきれています。待ち合わせのとき、無事会えるまでドキドキものです。そして出会った時のうれしさは恋の相手(?)でなくとも格別です。携帯連絡不可の私と外で会う約束など、相手にとっては迷惑千万この上ないことでしょう。ごめんなさいね。
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私には2人の父がいます。共に亡くなっているので、「いました」という方が正確かもしれません。
1人は、お茶を愛し、お茶と共に生きた義父。82年の生涯でした。
いのしし年生まれらしく、猪突猛進型の人生を送り、東京繁田園を築き上げた立役者。今なら父の話を受け止め、会話も弾むだろうに、人生経験もお茶の知識も乏しかった頃は、ただ一方的に話を聞くことしかできませんでした。それでも、門前の小僧と同じで、「あのとき、お父さんが言っていたのは、こういうことか」と、ふに落ちる場面に何度も出くわしています。遺してくれた茶関連の本は、今でも参考書代わりです。
総勢11人の孫たちをかわいがり、晩年は、「食べるお茶、お茶料理、竹炭」などと、次々とアイデアを出し、行動にも移していました。熱心さが過ぎて、協力をお願いした方々に面倒をおかけしたかもしれませんが、お茶を愛する故のことと、ご理解下さっていたのではと感謝しています。
「先駆け精神の持ち主」と評した方もいらっしゃいましたが、健在であるなら、今の時代、どんなアイデアを膨らませているでしょうか。お茶一色に染まった人生を送った父に尋ねてみたい気もします。