オリンピックの話題というとこのところ、経費増問題やその負担箇所の押しつけ合いといった見苦しく、聞き苦しいものばかりだ。うんざりしていたら、テレビで新種目・空手の紹介をやっていた。それを見て、新鮮な感動と興味を覚えた。
空手というと普通、相手と組む2人の勝負を考える。「組手競技」と言うジャンルだが、もう一つ「形競技」というのがある。これは相手のいない1人の演武で、決められた型約75種類から選択してやるものだ。
得点の基準はもちろん突きや蹴りの力強さ、スピードにあるが、さらに重要なのは「型」の美しさだ。四方の敵を仮想して、巧みに防御・撃退する無駄のない動き。あたりの空気を切り裂く音も緊張感を際立たせ、迫力満点だ。
空手に限らず武道の世界では、さまざまな「型」が重視され、会得する上での貴重な手本となっている。インバウンド客に人気の忍者も、この武術の発揮に他ならない。チャンバラの「殺陣(たて)」も型であって、決められた約束に則った一連の動きが舞踊にも似て美しい。
だがさらに大切なのはその動きや身のこなしの連続性である。空手の場合、入場から礼、退場までが審査の対象となる。とりわけ技を終えた後の持続する緊張感、そこで気を緩めるのではなく、くつろぎながらも隙を見せず、あたりに注意を払い、万が一の反撃に備える姿勢である。これがないと有効打破とはならない。これを「残心」と呼び、武道では欠かせない。
ことは武道に限らない。型と残心は禅宗へ影響を与え、芸道一般に広がっていく。茶道の作法もそうだ。基本は型、その無駄のない洗練された姿と流れに乗ったもてなしだ。客人を最後まで見送り、その後主人は1人改めて茶をたてる。その日のもてなしを振り返り、貴重な出会いの時間を反芻(はんすう)して、一期一会をかみしめる。これが残心である。
外国人が魅かれる和の魅力とは多くのものがこの型と残心にあるようだ。
日頃意識することのない私たちの立ち居振る舞い、あるいは物事の発想や文化の根っこ。情報社会は文化・文明を均一化し始めているだけに、かえって日常に残る独特の世界が、外国の人々を惹きつける。
旅館にみられる「よそおい・しつらい・ふるまい」もこうした芸道の伝統線上にある。旅館とそのもてなし自身貴重な和だが、極め付けが「見えなくなるまでのお見送り」だ。お辞儀の型を見せ、主人の残心を披露する。人のつながりが薄まりつつある現代社会だからこそ、それは和の発露として新鮮な感動を呼ぶ。
(亜細亜大学教授)