私は日本が終戦を迎えた1945年に生まれたので、もうすぐ79歳になる老人である。約80年間の人生を振り返ってみると、実にさまざまな出来事を経験し、なんとかここまで生き長らえることができたのは幸運であった。最近の低次元の世相を見聞すると「憂き世」という言葉が頭にこびりついて気分が晴れない。仏教用語としての憂き世とは「この世は不幸や苦しみに満ちた辛い世」という意味だ。そのために「憂さを晴らす(つらい気持ちを晴らす)」ことが必要になる。憂さ晴らしの方策はいろいろとあり得るが、私が思い付いたのは、現在の憂き世(日本)から気球に乗って2万5千メートル上空の成層圏旅行にチャレンジすることで、青い地球をしっかりと見つめ直すことである。
実は北海道江別市に本社を置く宇宙関連スタートアップ(新興企業)の岩谷技研は「気球による成層圏遊覧」の実現を目指して周到に準備を重ねている。北海道新聞の記者による報道に依拠しながら、岩谷技研の活躍ぶりを紹介しておきたい。岩谷技研は、岩谷圭介社長(38歳)が2016年に設立した会社。岩谷社長は北大工学部学生であった12年に小型風船カメラを使用して、上空30キロからの写真撮影に成功し、その風船カメラを見事に回収している。
宇宙といえば、ロケットが常識であるが、岩谷社長は一貫して気球にこだわり続けて今日に至っている。岩谷技研は自社開発のガス気球で2人乗りキャビンを上昇させ、成層圏(高度1万8千~2万5千メートル)に至る飛行実験を400回も成功させている。気球は空気よりも軽いヘリウムガスで上昇し、繊維強化プラスチック製のキャビンは機密性が高いために高度2万メートルでも室温は約20度を保ち、酸素の自動供給装置があるため個別の酸素マスクは必要ない。
岩谷技研は安全面に特段の配慮を行っている。降下時には天頂部の弁を開いてガスを放出する。ガスが全て無くなる緊急事態になっても、気球自体が変形してパラシュート状になって危機を回避する。同社は今年9月中にも一般乗客を乗せて商業運航を行う予定だ。遊覧飛行の料金は4時間で2400万円。すでに乗客は決まっているとのこと。成層圏への商業運航が成功すれば国内初になる。気球での成層圏旅行は重力加速度による負荷が少なく、特別な訓練は不要である、
米国スペース・パースペクティブ社は、乗客8人が乗れる気球で高度3万メートルへの遊覧飛行を来年から運航する予定で、1人当たりの料金は約1840万円。岩谷技研も4人乗りや6人乗りの気球を開発して、1人当たりの料金を減らす方針を表明している。
私は憂き世の憂さ晴らしのために気球による宇宙遊覧を夢みたが、冷静に考えると、私自身は高所恐怖症かつ閉所恐怖症であり、その上に貧乏症のために旅行費用を工面できないのが残念である。あまり難しく考えずに、今後は大リーグで大活躍している大谷翔平選手に加え、気球による宇宙遊覧で世界をリードしている岩谷圭介社長を応援することによって、せめてもの憂さ晴らしとしたい。
(北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授)