これを書いている今、東京では桜が満開だ。気象庁の職員が開花を宣言する様子を報道しようと、靖国神社の桜の標本木の周囲にマスコミ関係者が陣取っているのがテレビに映し出されていた。桜の開花を巡ってこれだけ大騒ぎになるのは、日本ならでは。
「古今和歌集」に収められている在原業平の短歌が、日本人の桜に対する思いをたった31文字で見事に表現している。「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」。日本人の桜愛は、昔も今も変わらないのだ。
同様に、桜の名所も変わっていない。文政10(1827)年に刊行された行楽地のガイドブック「江戸名所花暦」で、「東都第一の花の名所」とされているのが東叡山寛永寺、つまり現在の上野恩賜公園。今もお花見スポットの人気ナンバーワンとして君臨している。
お花見といえば、お花見弁当。我田引水だが、筆者が役員を務める弁当製造販売会社「神田明神下みやび」では、今年初の試みにチャレンジした。お弁当箱の内側に桜柄を印刷、それが見える透明なインナーを特注したのだ。お料理も、桜葉を敷き桜の塩漬けを載せた桜胡麻(ごま)豆腐や、桜麩(ふ)、花弁餅などで桜満開に。目と舌、そして香りも楽しめるお弁当を目指した結果、松坂屋上野店の「お花見弁当アワード」で和食部門第1位を獲得。上野公園に近いこともあり、うれしいことにいくつものテレビ番組に取り上げていただき大感謝。
日本では古くから、木のこずえに神が宿ると信じられていた。桜の木も、春になり山から下りて来た田の神様の依代であり、その下で神をもてなし、酒や料理を神と共食することで秋の実りを祈ったのが、花見の宴の起源とされる。
宴会スタイルのお花見の最も古い記録は、「日本後記」に記された嵯峨天皇の「花宴」。弘仁3(812)年とされており、平安時代だ。当初は身分の高い人々の娯楽だったが、江戸時代に入り、8代将軍徳川吉宗が庶民の行楽のためにと隅田川堤や飛鳥山に桜を植樹したこともあり、庶民もお花見に興じるようになった。現存する錦絵からその様子をうかがい知ることができるが、重箱と徳利の入った当時のピクニックセット「提重(さげじゅう)」が描かれ、やはりお花見弁当は欠かせない存在だったと分かる。
同様にお花見必携だったのが、お酒とお花見団子。いずれも豊臣秀吉が慶長3(1598)年に開いた「醍醐の花見」がキッカケといわれる。招待者数1300人という大規模かつ絢爛(けんらん)豪華な宴で、全国各地の銘酒や銘菓が振る舞われたのだ。
それまで白一色だった団子を、華やかな物が好きな秀吉が三色にさせたという説が本当かどうかは分からないが、ピンク、白、緑という三色の理由にもさまざまな説がある。桜、残雪、新芽の三色で春の到来を表すという説が有力か。
いずれにせよ、桜には不思議とワクワクさせられる。お花見弁当を携えて、お花見に行ってみたくなった。モチロンお酒もネ!
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。