カウンター越しの額縁のような窓の向こうに見えるのは、日本三景の一つ、天橋立。冬になると雪化粧が施され、まるで雪舟の描いた水墨画のよう。その名も「雪舟庵」という京都府宮津市にあるこの店では、地元丹後で獲れる旬の素材を使った、四季折々の会席コースがいただける。
筆者が必ず注文するのは、大好物の鯖寿司。通常は地の鯖を使用するため品切れになることもあるので、前回訪問した際は事前に電話予約をしておいた。当日は残念ながら地物は手に入らなかったそうだが、遠来の客である我々のために、店主の西岡正人氏が用意して下さった。
長さ50センチメートル近くもあろうかと思われる超ロングのお皿に載っていたのは、もちろん同店特製の鯖寿司。超肉厚の鯖を、これまた肉厚の昆布で包み、きれいな半円形に巻いてある。脂の乗った肉厚の鯖は、締め加減が最高! 昆布の旨味、シャリの酸味と甘味が混然一体となってともかくうまい。考えただけでも垂涎モノだ。
この鯖寿司と、材料はほとんど同じバッテラとの違いって、ご存知だろうか? バッテラの語源はポルトガル語で小舟を意味する「バッテイラ」という言葉なのだそう。元はコノシロを載せた寿司の形が小舟に似ていたため、こう呼ばれるようになったようだが、コノシロの不漁が続いたため鯖を代用するようになり、いつしか〆鯖の押し寿司にもこの名が用いられるようになったという。
鯖寿司が布巾やスノコで押し固める棒寿司なのに対し、バッテラは木型で抜いて作る箱寿司だ。また、前者に使われるのは羅臼産など肉厚の昆布だが、後者は薄く半透明の白板昆布。さらに前者は鯖の切り身をそのまま使用するが、後者は身を薄く削いで使う。
箱寿司は「大阪寿司」とも呼ばれる通り、大阪の郷土料理だ。一方、鯖寿司は京都の食文化の代表選手である。そのルーツは、日本海に面した海の幸の宝庫、若狭湾。かつて若狭国は朝廷への税として、塩や海産物を納める「御食国」(みけつくに)であったとされる。これらの海の幸は、現在も「若狭ぐじ」「若狭かれい」など「若狭もの」と呼ばれるが、最も多く運ばれていたのが鯖である。若狭湾で獲れた鯖に塩をあて、京都まで運ぶと、ちょうど良いあん梅の締め加減になったそうだ。
この道のりが「鯖街道」である。平成27年、文化庁は「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~」を、日本遺産に選定した。約18里のこの街道沿いは、社寺や町並みが形成され、一つの文化に昇華したのだ。
「サバを読む」という言葉があるが、スグに鮮度が落ちてしまう鯖をろくに数も数えず、急いで売り捌いたことが由来だそう。ゆえに塩蔵され運ばれて来た鯖を、最もおいしく食べる方法を昔の人々が考え出したのだ。今も京都ではハレの日の食事として、祭りなどの際に食されている鯖寿司。その口福を味わう度に、先人の知恵に感謝したいと思う筆者である。
※宿泊料飲施設ジャーナリスト。数多くの取材経験を生かし、旅館・ホテル、レストランのプロデュースやメニュー開発、ホスピタリティ研修なども手掛ける。