日本における鉄道と宿泊施設との関係性は、鉄道が開通した明治初期より始まっている。江戸時代での馬運による交通の要衝となった驛(うまや)が、鉄道における停車場としての「駅」へと変貌した際には、鉄道利用者の宿泊先として、宿場町の本陣・脇本陣などが利用された。
さらに明治中期・後期には、日清・日露戦争を経て朝鮮半島や中国大陸にも鉄道敷設を行うようになったことにより、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)の下関に国際関係を目的としたホテルが誕生した。この形式は、南満州鉄道直営の宿泊施設「ヤマトホテル」でも踏襲され、大連、奉天(現在の瀋陽)、新京(現在の長春)、哈爾濱(ハルビン)など南満州鉄道沿線を中心とした各地で建設された。ヤマトホテルは、西洋風の重厚な建築と内装、威厳あるサービスで迎賓館と同格の位置づけを担い、日本における国威発揚の場として位置づけられた。
国賓待遇の賓客を招聘する際にも使われていたため、それに相応しい品格と丁重なサービスが施されていた。ホテルの賓客には王族や皇族も含まれており、威厳や荘厳さを兼ね備えた風格、即ち御稜威(みいつ)を守ることも求められ、ホテルにも威厳や荘厳さを保つことを目的としたホスピタリティが展開されていたと考えられる。このことから、ホスピタリティ・マネジメントの淵源のひとつとして、「マジェスティ・マネジメント」の研究が必要であると思料する。
鉄道においても同様で、賓客が乗車する際の特別車輌が存在しており、威厳と細部にわたるサービスが行き渡る接客が行われた。その接客にも威厳や荘厳さを有したものであった。
日本においては、鉄道会社の施設(車輌製造や駅舎建築)およびサービス、宿泊施設の施設(施設建築や内装)およびサービスに共通点が数多くみられ、これらの嚆矢は国賓待遇、所謂VIPに対する接遇であったと考えられる。
日本においては鉄道会社と宿泊施設は、VIPの接遇というミッションにおいて共同体であり、長く協同しながら発展してきた。これは観光の面でも共通した要素を有している。
現在はクルーズトレインを中心に、鉄道と宿泊施設(ホテル・旅館)の利用とが「観光目的」となる動きが出ている。観光のための移動としての鉄道、観光のための宿泊としてのホテル・旅館というのが本来のあり方であった。これを経済学用語で「派生需要」という。それが、鉄道に乗ることやホテル・旅館を利用することが観光目的という利用が増えており、これは経済学用語で「本源需要」とされている。今後は様々な場面で、鉄道と宿泊施設とが観光面で融合することが進んでいくであろうと考えられる。
江戸川大学社会学部現代社会学科 崎本武志教授