九観連の今とこれから
「加盟施設の使いっ走りに成る」理念に
──設立は。
「九州の主要旅館ホテル8社が、1963年に大阪に共同案内所を設立したのが始まりだ。大阪本部のほか事務所が札幌から福岡まで全国10カ所にある」
「今は九州の旅館ホテル57軒を案内している。このうち旅館は44軒だ。バス、タクシー会社や食事施設なども入会しており、準会員と合わせると130施設に及ぶ。取扱高は全社で80億円ほどだ」
──近年の業績は。
「業界全体が厳しい中、会員施設のおかげでこの2年ほど上向いている。09、10年は我慢の年になるだろうが、11年の九州新幹線全線開通は追い風になるとみている」
──「総合案内所」という業態は縮小傾向にあるが、その中で九観連が業績を伸ばしている要因は。
「案内所は、基本的に旅行会社からの用件に基づいて動くことが多い。しかし当会は、旅行会社本位ではなく会員施設本位。先代理事から引き継いだ、『ホテルの使いっ走りに成り切れ』という理念を持って、職員一同が動いているからではないか」
──東京での事業活動に力を入れるとのことだが。
「実は東京には1975年から事務所を構えている。しかし本部が大阪にあるため、どうしても東京での営業が弱かった。また東京スタッフの数が少なかったことや先行の案内事業者があったということもあって、これまでは比較的取り組みが遅れていた」
「取り扱いのうち、現在6割ほどが関西より西からの集客となっている。今後関東での取り扱いを5割くらいまで伸ばしたい。関東にはそれぐらいの需要が絶対にあると考えている。そのためにもまず、現在8人のスタッフで営業している東京営業所を10人程度に増やしたい」
──案内所事業そのものの将来性は。
「今のままでは成り立たなくなるだろうと考えている。われわれは会員施設からの会費で運営しているが、今の案内所というのはほとんどが手数料商売。インターネットの普及や利用者の直予約化など直販態勢が強まっている中で、旅行業への手数料でさえ疑問を抱かれつつある現状を考えると、案内所に3%、5%と手数料を払うことは将来的になくなるだろう」
「会員旅館ホテルとも、直で営業や宣伝ができる九州内では、宣伝活動をどんどん行えばいい。しかし現地から離れた大阪や東京では、テレビや新聞への露出がなかなかできず、全くと言っていいほど宣伝ができていないのが現状だ。会員施設には、『旅行会社に対する手数料は“宣伝経費”として考えて』とお願いしている」
──第3代代表理事として心がけていることは。
「社員には『ホテルの使いっ走りに成り切れ』というのと合わせて、『自分たちの所得を上げるために共に働こう』と常に言っている。今の時代が、トップ自身に『自分がまず動く』という感覚がなければ乗り切れない時代だと考えているからだ。これはどこの業界も同じではないか」
「旅館ホテルにはオーナー経営者が多いが、どちらかというとまだまだ自分のところの社員を『使用人』のようにみている人が多い。今後は社員中の優秀な人を1人でも役員にしようという考えがない限り、オーナー旅館は発展しないのではないか。会員施設のオーナーにはそのようにお願いしたい」
【まつせ・ゆうじ】
1973年大阪経済大学を卒業し、九州観光旅館連絡会(略称・九観連)に入所。現在に至る。長崎県佐世保市出身。58歳。