【観光立国・その夢と現実 36】日本の伝統文化を知ろう!(1) 小原健史


 私は、現在74歳である。旅館業の現状や未来を語るには歳を重ねすぎた。しかし、わが国の旅館業をこよなく愛し、思う気持ちは人後に落ちないつもりであり、今回のこのコラムについても、個人的なことで誠に申し訳ないが、あえて経験談を記載したい。

 私は、大学時代の“部活”は能楽研究会で仕舞や謡の稽古に没頭した。高校時代には当時流行したエレキギターに痺れていた私が方向を180度転換して、日本の中世以降の古典芸能の〔能楽〕を4年間みっちり学んだ。そして、そのことは旅館経営者になった後、極めて有意義であった。

 能楽の中の仕舞は宝生流の故田巻利夫師に師事し、シテの心(=主役の性別や年齢からくる姿勢や動きの形と心持)や〔序破急〕のリズム感を扇で打たれながら叩き込まれた。単なる仕舞から、囃子方(はやしかた)が入る舞囃子、そして、能〔羽衣〕の稽古へと、その厳しさと芸の奥深さは増幅された。

 稽古事は手を抜けばすぐに芸に表れる、少しでも気が緩むと「小原さん、お稽古している?」と締められた。また、謡は故山高東師であったが、厳しい稽古の中で最初に指摘されたことは、九州人の私の発音の粗っぽさで〔が〕の鼻濁音が抜けず、軽く〔んが〕がなかなかできなかったし、そのような発音を初めて知った。また、神々しく力強い〔強吟〕と、たおやかで美しい〔弱吟〕とを謡い分ける技術を学んだ。

 本題に戻ろう。今回のコラムで書きたいことは、このような日本の古典芸能である能楽の仕舞や謡の厳しい鍛錬が、旅館業の経営にいかに役立ったかということであるし、言い換えれば、全国各地の和風文化の極に日本旅館があると承知しているが、その和服の仲居の立ち居振る舞いから、料理の演出、そして旅館業の経営そのものにまで、古典芸能の文化の精神が役立つということでもある。

 例えば、洋服に慣れ親しんだ現代の日本人が、和服=着物を着た際、立った状態からいきなり座ることはかなり難しいし、また、それはやってはいけない。手順=足順?を踏めば、これがスムーズに可能になる。まず、座る場合は、(1)右足を半歩引いて右膝を折り畳につける。(2)次に、同時に左膝も畳に付けて両踵(かかと)を爪先立てたまま踵にお尻を下ろす。(3)すぐに、爪先を伸ばしてお尻を左右バランスよく、裏返った足に乗せる。(4)この足順を経ずして一気に座ることは不可能である。また、(5)お尻のバランスは大事で、長時間にわたり座る場合は、他人には分からないように少しずつお尻の位置をずらすことで、足のしびれを回避できることになる。

 能の曲目は約200を超える数があるが〔地謡〕という約8名程度の合唱は、最短で半時間少し、最長で2時間程度の1曲を座りっぱなしで上演するのであるから座り方が肝要だ。

 能楽は室町時代に観阿弥・世阿弥の親子で芸術の域まで高められたことは日本史を学んだ者は衆知であるが、その根本原理は〔花の心〕と〔序破急〕である。〔花の心〕とは、例えば、1曲のその趣旨、シテ(=主役)の心持ちの表現の仕方のことであり、シテが若い娘であれば、その曲はそのシテの心になりきって舞い演じ、若々しく美しく演じなければならない。実際に人間国宝のシテ(=70歳台の男性)が小面を付けて舞えば、うら若き乙女のように美しく華やぐ姿にみえる。逆に、同じ人物が鬼女のシテで、安達原の黒塚で、毎夜、旅人を招き入れ食ってしまうという物語では、おどろおどろしい般若の面で人を襲い、舞い狂う姿に圧倒される。

 〔花の心〕はそのような心持ちの肝要さでもある。

 (この項、次回へ続く)

 (元全旅連会長)

 
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