【観光立国・その夢と現実 45】旅館創業者の精神性(3) 小原健史


 旅館創業者の精神性として私の父の若い日々の苦闘を描写している…。

 トラック購入資金の調達のためにお願いに行った銀行では「牛で引いていくのに何の不都合があるか?」とか「トラックとは何ぞや?」などと昭和初期の当時は銀行とはいえいまだ原始的で”人を見て貸す”ところがあり、地元で新進気鋭で伸び盛りの嘉登次への融資は保守的な土地柄もあり忌避された。

 トラックによる木材の輸送にかける嘉登次は、窯業で財を築いていた伯父に頭を下げてトラックの購入資金の融通をお願いするが簡単にはいかず、何度も何度もお願いに行ってやっとの思いで了解してもらった。

 〔毎日の平凡な仕事を変革し、事業を躍進させるにはどうするかを真剣に考えて、答えが見つかれば一気になりふり構わず突き進む〕という嘉登次の仕事のやり方はこの頃から始まった。

 その頃の嬉野は長崎県の佐世保市の経済圏の一端にあり、嘉登次が所有する山林で切り出した木材は佐世保港の木材市場まで運ばれ、その当時に隆盛を極めていた炭鉱の坑木や、木造建築の資源として消費された。念願のトラックを購入した嘉登次は、それを自分自身で運転して1日に佐世保の港まで3往復運ぶことが可能となり、牛でけん引し1日に1回運んでいた時よりも3倍の収益を上げることができた。嘉登次は年を重ねてから若き日々を思い出すように言っていた。「あのトラックで材木を1日3回佐世保まで運び、他の人の3倍稼いだことが自分のもうけの始まりだった!」と。

 〔最初の成功体験は、その理由が何だったのかを分析し、人生の糧にすべきであって、一度の成功で調子に乗って、次々と無造作に新たな事業に取り組めば良いものではない〕。その点、嘉登次は若い頃から豪胆さと繊細さを併せ持つ性質であった。それは、母親のウメという、当時では珍しく女性でありながらも雑貨商と牛による輸送、そして山林の管理と材木の切り出し販売を一手に仕切り、いわく「私の手で長崎から博多まで鉄道馬車をひく!」と豪語するほどの女傑であった。ウメは男勝りの豪胆さと、女性ならではの繊細さを併せ持ち、周囲の人々の信用と信頼を得ていて、その精神性が一人息子の嘉登次に乗り移ったかのようであった。

 嘉登次は木材のトラック輸送の成功で一躍人々の注目を浴び、建築請負、一般のトラック輸送と周辺の事業を慎重に開拓していったが、部下のトラック運転手が切り出した材木を運ぶ途中の山の中で運転を誤り、道を外れ浅い谷に落下するという事故を起こしてしまい、警察署にも迷惑をかけてしまった。その事故の処理の際、嘉登次はウメから教わっていた〔万一、失敗をしたり、人に迷惑をかけた場合は、その処理に心を尽くし迅速に対応する〕ことを率先し、逆に被害を受けた山林の所有者や警察官、そして部下からの厚い信頼を得た。

 嘉登次の人柄に好感触を受けた警察署長から、依頼されたのが戦争未亡人の困窮を救うために”和多屋旅館の買収”であった。が、嘉登次は、そのことに全く興味を示さず、署長の再度の依頼も断り続けた。手慣れた材木業や輸送業とはかけ離れた旅館業には見向きもしなかった。しかし度重なる要請と「見るだけでも良いから!」と言われて見学した和多屋旅館は、嬉野温泉の中心ともいえる古湯温泉のすぐ北側の10室の小さな宿であったものの、使われている木材が素晴らしく、また、什器備品の”マルジュウ”のマークが入っており、聞けば薩摩の島津藩の侍たちが使用していた宿だという! この瞬間から、後日、小原チェーンと呼称された和多屋別荘を拠点とする旅館、温泉センター、警備会社などを擁する企業グループの誕生が始まった。(元全旅連会長)

 
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