【観光立国・その夢と現実 48】旅館創業者の精神性5 小原健史


 このコラムは「旅館創業者の精神性」と題して私の父のことを記載している。その目的は、太平洋戦争の敗戦直後、灰じんに帰した焦土の中からその困難に果敢に立ち向かい事業を成し遂げた人の精神性や行動力を現代の若者に知ってほしいとの思いである。

 嬉野温泉の中心にあった「和多屋旅館」を買収した小原嘉登次は木材業や建築請負業が本来の仕事であったので、当初は旅館は親類に運営を任せていた。しかし、買収はしたものの他人任せでうまくいくわけはなく、次第に旅館の事業に傾注していかざるを得なくなった。嘉登次は“旅館業とは何ぞや?”との疑問を常々抱いていたが、材木業組合の別府温泉旅行の際にそれは氷解した。別府温泉は当時から旅館の軒数も多く“地獄めぐり”や“湯の花小屋”などさまざまな観光資源を備えて、さらに猛烈な勢いで旅館ホテルや観光事業の開発が行われ始めていた。

 また、別府温泉繁栄の礎を築いた油屋熊八翁の活躍を知るや嘉登次はその業績に心服した。油屋翁は別府温泉に観光バスを走らせ日本で最初に“バスガイド”を乗車させたかと思えば、富士山登山を挙行し山頂に「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」の標識を建てた。誠に気宇広大である。嘉登次は別府温泉で利用した宿で、旅館経営者としては初めて旅館を利用し【お客さまの立場と目線で考えることが大事だ!】ということを悟った。

 早速、自分の和多屋旅館をお客さま目線でチェックした。まず、客室にお風呂がなく、トイレや洗面台も共同利用でありお客さまのプライバシーはない。そして温泉の共同浴場の規模は小さく利用時間が制限されて不便である。嘉登次は施設の改善をすぐに行動に移した。まず各客室内にトイレと洗面台、風呂を設置し、共同の浴場を大型の丸い浴槽に改め“丸風呂”と名付けた。さらに、2階の最上室の客室の室外に下駄を履かせた露天風呂と庭を造作し“空中庭園露天風呂”と名付けた。これらの策は当たった。わずか10室の和多屋旅館は利用したお客さまの高評価の声が、いわゆる口コミが広がり瞬く間に連日満員の旅館へと変身した。

 何度も記載するが嘉登次の本業は木材業と建築請負である。旅館の増改築や庭園風呂の増設はお手のものである。まさにこの部分の格言としては【お客さま目線の重要性】と【改善の迅速性】である。

 和多屋旅館の評判は次第に広がっていくが、いつ予約を申し込んでも満室で断られることになると、今度はお客さまの不満がたまることになる。お客さまの中には「従業員用の部屋でもいい、物置でもいいので泊めてくれ」との声も出始めて嘉登次のお客さま目線の旅館の改革は成功した。

 現代のホテル旅館の経営では連日満室の稼働率を維持することが重要で、それが新たなお客さま心理をつかむことにつながるとも解釈できるが、一方で経営者の欲求はさらなる事業拡大を望む場合もあり、嘉登次の場合は規模拡大の方針をとった。

(元全旅連会長)

 
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