小泉政権下の改革で国民金融公庫が廃止になるとの危機感の中、自民党への陳情が成功せず、生活衛生業界は与党の一角の公明党の冬柴幹事長に陳情することになった。
公明党への陳情が終わって、別室に一人呼び込まれ幹事長と副幹事長に囲まれる中、私は冬柴幹事長に「参院比例区に出馬しましたが御党のおかげで私は落選しました」と直球を投げ込むと、その場は険悪な雰囲気になった。しかし、冬柴幹事長は大きな人物で「うちの党のお陰で落選したとはどういうこと?」と穏やかに聞かれる、私は、ここがチャンスとばかりに「幹事長、自民党の比例区の候補者は皆そう思っていますよ。自公連立は大変結構なことですが、参議院選挙の場合、選挙区の自民党の候補者は、選挙区は○○へ、比例区は公明党へ!」と叫ぶ。これでは自民党の比例区候補は浮かばれません。選挙協力もわかりますが、選挙が終わった後の政治の協力、政権与党の構成じゃないといかんと思います。よって幹事長、私の落選の落とし前をつける気持ちで、今回の国金の存続をお願いします」と言うと、冬柴幹事長の目が光り「小原さん、落とし前とは厳しいね!」「いえ、幹事長、われわれ旅館業は政治的な目的を達成するためにはなりふり構わず行動しますので、ぜひ、よろしくお願いします」と頭を下げた。
国民金融公庫の存廃は、生活衛生業界ばかりでなく農林水産業や輸出入関連など多くの産業分野に影響が多大であったので、各分野でも必死の陳情などの政治活動が行われ、最終的には“日本政策金融公庫”として存続することになった。
小泉政権の“民間でできることは、できるだけ民間の手で!”という強い姿勢には手を焼いたが、私は、個人的には小泉元総理を最も尊敬している。一つの政治信条を曲げずにどのような手段を使ってでも、やり遂げる突進力は魅力的だ! 一般的に政治の世界は力と力のぶつかり合いと、その後の調整と妥協の産物が多く、時には世の中の何の役にも立たない、誰をも幸福にしない法律や予算が生まれることもある。
小泉元総理は“民でできるものは民の手で!”とか“郵政民営化”とか、これだ!と思うことは一歩も引かず、郵政民営化に反対する自民党議員には総選挙で公認せず“刺客”を立てて白黒を明確にし、その選挙を見事に大勝利に導いた。
私が参議院比例区選挙に落選し、全旅連の会員や組織が落胆の底にある中、何とかそのムードを立て直そうと、全旅連全国大会を東京で開催し、小泉総理にご出席を願おうということになった。そのお願いのごあいさつに総理官邸に伺ったが、この官邸への陳情は当時の全旅連事務局の政治担当の清澤正人氏の尽力により実現したもので、清澤氏は山本一太群馬県知事のご父君であった山本富雄参議院幹事長(元全旅連会長)の秘書を務めた経験があり、小泉総理の飯島勲秘書官との交流の中で、何十回という要請を経て実現したもので、そのような実績の中で清澤氏はこのたび、藍綬褒章を受章された。
全旅連の総理官邸での陳情の時の総理は、いつもの「自民党をぶっつぶす!」などと強烈な論陣を張る小泉さんとは思えない、失礼ながら全く元気がなく話す内容も聞き取れないほど小声である。私から「小泉総理、前回の参議院選挙では清和会のご推挙で出馬しましたが10万票で落選し、大変ご迷惑をおかけしました。全旅連会長が落選したので業界は全国的に打ち沈んでいます。そこで全国大会を東京で行い総理にご出席を賜り“観光立国・全国大会”と銘打って、全国の旅館ホテル業界を再活性化したいと思います」とお願いをした。小泉総理からは「余程のことがない限り出るようにしよう」との言葉を頂いたもののほとんど聞こえないような小声であった。やはり日本の総理大臣という立場は体力・気力を膨大に消耗し、ストレスが極端に激しいのだろうと思われた。
(元全旅連会長)