いよいよ、令和2年の幕開けである。今年は、夏に多くの人が待ち望んだ国際的なスポーツの祭典が開催されるなど、日本が世界から注目される1年だ。日本の魅力を国外へアピールできる好機の到来といえるだろう。
では、いざ“日本らしさ”とは、どのようなものかを説明するとなると案外難しい。一度、日本在住の外国人の方々に「日本の魅力は?」というテーマでインタビューを行ったことがあるが、多くの人が「新旧入り混じっているところ」と答えた。“新”の部分は、昨年相次いだ、日本橋や渋谷などの開発を見れば一目瞭然。渋谷の駅前などは、子供の頃に映画やアニメで見たような未来都市が実現したような様相だ。
ところが、“旧”の部分となると、よい例がどんどん影を潜めているような気がしてならない。そこで、年末に日本の原点ともいえる奈良を旅してみることにした。「御代替わり」に伴う一連の行事でも注目された「橿原神宮」をはじめ、日本最古の一つである神社が集積する地であり、日本の神話の片鱗が今でも多く残る場所。そこで、幸運なことに、日本古来の貴重な光景を目にすることができた。「春日大社」の摂社である「若宮神社」の「春日若宮おん祭」だ。
12月17日午前0時に始まる「遷幸の儀」と、それに続く「暁祭」。吐く息も白く、寒さが一層極まる深夜に行われる、若宮神を本殿よりお旅所の行宮へお遷しする儀式である。儀式は、一切の明かりを消した闇夜の中で厳かに進行する。榊の枝で幾重にもお囲みした神霊が、100人ほどの神職に伴われて進んでくる。暗闇と静けさの中、お旅所にて神霊の到着を待っていると、徐々に一緒に行列を成す楽人たちの雅楽の調べが遠くに聞こえてきた。近づくに連れ、音色の調べと呼応する「ヲー」という警蹕(けいひつ)が聞こえるようになる。やがて、松明(たいまつ)の炎の音を先頭に、神霊のご到着。月明かりを頼りに、「ヲー」という神秘的な声の重なりで守られた神霊が目の前を通る様子は、なんとも畏れを感じるほどのものである。
目に見えない精神的なものではあるが、確かに周囲の空気が変わったことを肌で感じることができた。眠っていた感覚が、ゆっくりと呼び覚まされるような感覚と言えばよいだろうか。考えてみれば、日本は目に見えない“気配”に敏感に生きてきた民族だ。今回、奈良では、山をご神体とするため本殿を持たない神社も目にした。祖先たちは、見えないものに価値を見いだし、畏怖を感じる想像力豊かな人たちだったことに改めて思いをはせた。忙しいと目の前のことで精一杯になるが、混沌(こんとん)とした世の中で、見えない“気配”に目を向けることこそが大切であると気づかされた一夜だった。