良いもてなしを受けるには、良い顧客であれ。
顧客の心構えを説く言葉だ。顧客は「良い顧客」になるために礼儀や作法を詳しく学び、もてなす側の配慮に対する振る舞い方にも気を配る。
たとえば、茶の湯では亭主が客人に抹茶を提供する際、茶碗(ちゃわん)の正面が客側になるように置く。客人はその配慮に遠慮して茶碗の正面に口がつかないよう茶碗を向こう側に回してから抹茶をいただくのである。茶碗を回す意味は知らなくても、カタチだけは知っているという客人は少なくない。だが、もてなす側は、その所作の意味を熟知している必要がある。
旅館の夕食提供でもしかり。和食の基本的な作法は、もてなす側もしっかりと押さえておきたい。
たとえば、食事の前半に提供する吸い物椀(わん)。顧客が吸い物を食べ終わる前に蓋(ふた)だけを下げてはいけない。椀の蓋は吸い物を食べ終えたときに「食べ終わった合図」として顧客自身が閉めるのがマナーだ。先に蓋だけを下げてしまっては、顧客は汚れた器を晒し続けることになる。椀の蓋は身と一緒に下げるのがもてなす側のマナーだ。
また、椀の蓋が閉じられていないときに係が顧客の前で蓋を閉じてから椀を下げるのはご法度。顧客に対し「食べ終わったら、こうやって蓋をするのが正しい作法」と、これ見よがしに説教しているようなものである。相手に恥をかかせないようにするのも日本のもてなしの基本である。
中には、椀の蓋をひっくり返して身に重ね「これが食べ終わった印」と勘違いしている顧客がいるが、このときも客の目が届かないところで、そっと蓋を重ね直すのがもてなす側の配慮である。
一方、会食では下座の人は上座席の食べるペースに合わせるというルールがある。よって下座の人は最後の一口を器の中に忍ばせておき、上座の人が食べ終えると同時に、その一口を口元に運ぶ。最近ではこの暗黙の了解を知らずに、自分のペースで料理を平らげてしまう顧客も少なくない。もてなす側としては「空いた器は常に上座席から下げること」を心得ておきたい。
ルーズ・ベネディクトは著書「菊と刀」の中で日本の文化は外的な批判を意識する「恥の文化」であり、欧米の文化は内的な良心を意識する「罪の文化」であると述べている。「真の罪の文化が内面的な罪の自覚に基づいて善行を行うのに対して、真の恥の文化は外面的強制力に基づいて善行を行う」と指摘する。
顧客に恥をかかせないための配慮は日本特有のもてなし方であり、その行為を配慮と認識しない顧客、とりわけ文化圏が異なる人々にとっては全く意味を持たない。しかし、これが「日本のもてなし」であり「欧米のサービス」との違いなのである。つまり、日本のもてなしとサービスは、生成過程においても文化的に同義ではないと言えよう。