ここ1カ月で上棟と竣工が何軒か重なりました。地元の神主さんを招き、土地の神様に工事が安全に進むことを祈願し、無事に工事が終わったことにお礼をするために修祓、降神の儀、献餅、祝詞奏上、玉串拝礼、撤餅、昇神の儀と小半時神事が執り行われました。
関係者一同が神様の前に整列し、神主さんの声に従い神妙にする中でクライアントは設計者の私に何を期待し、それに十分応えているのかと自問します。
億単位のプロジェクトの大半は建設投資に回され、その采配は設計者に任されますが、クライアントはまだ形になっていない物を想像して買うことになります。
図面、模型やパースで説明されたもので工事契約するのでモデルハウスで確認できる住宅メーカーやマンションの商品とは訳が違います。期待していたものと違ったら経営にも影響し、初めての設計者と契約をするときは祈る気持ちかと思います。
設計者の役割は建築基準法や消防法、公園法などさまざまな法律との整合性を取りながら、機能的な動線計画で用途に合った空間構成をし、合理的な構造と設備を持ち、宿泊産業としての商品に合ったデザインをされていること、そして最大のハードルの工事費を予算内でコントロールすることです。
以上のことをクリアするのが設計者の肝心な仕事と思っていますが、これらの必要条件をクリアしていれば設計として十分かといえば、それだけでは不十分です。
私が計画の始まりから竣工まで悶々と思考しているのは、その場にいることが料理でいえばごちそうになる空間です。料理人がおいしいと言われるとうれしいように、建築設計家は空間で人を呼べるとやりがいを感じるのです。
機能は時と共に変わりますが、人の心に響く空間は普遍的で古くならないし、本物の材料は経年劣化でなく味わいを増します。
バブルのころの建物の豪華さでなく、周辺の景観、地域文化など、その場の持つ力をオーケストラの演奏のように見える形で構成することに力を注いでいます。
最終消費者が千客万来で客単価と稼働率が大きく上がると設計者としての役割が十分果たせたと感じます。売り上げ計画に反映しませんが、この十分条件は投資のキーポイントだと思います。
持続可能な開発と相反する言葉で成り立つSDGsの着地点は持続可能な空間と思い、10年20年、それ以上にいつまでも生き生きと人を引きつけることを念頭に仕事に励んでいます。