JR一ノ関駅は、1970年代に活躍したフォークグループ「NSP」のヒット曲「夕暮れ時はさびしそう」(1974)が2019年3月から東北新幹線ホームの発車メロディーに採用されている。メンバーは地元にある一関工業高等専門学校出身で、出会った平賀和人さん、天野滋さん(1953~2005)、中村貴之さん(1953~2021)ら同級生3人。2人が故人となり、1人残った平賀さんは、NSPの魅力を伝えるべく、さまざまな活動を続けている。
NSP
「夕暮れ時―」は、市内を流れる磐井川の河川敷で恋人と待ち合わせをしていた心象風景を天野さんが反映させて作った歌だ。河川敷にはNSPを記念するギターをかたどったモニュメントもあり、多くのファンが訪れる「聖地」となっている。なぜここまでこの歌と街が愛されるのか。「磐井川の夏の夕暮れってものすごく奇麗なんです。他の東北の街とは違う。歌の内容と風景がマッチしていること、また町ぐるみで応援してくださっていることが大きいと思います」。
NSPは活動期間こそ長くはなかったが、ベテランミュージシャンにとっては憧れの存在だったらしい。ギタリストのチャーさんは、NSPのヤマハのディレクターと交流があり、初期のライブでサポートメンバーとして参加していた。「最初は『フォークなんて』、と思っていたみたいですが、一緒にやっていくうち『フォークってすごい』と思ってくれるようになったみたいです」。
「THE 虎舞竜」の高橋ジョージさんは宮城県出身だが、一時期、岩手県立の一関工業高校に在籍していた。NSPのデビュー曲「さようなら」に感動し憧れ、アルバムの1枚目から3枚目まで完全にコピーできるほどのファンで、一時期はバンドのローディを務めていた。同じ郷土から出たスターという印象を持っていたという。
メンバー2人亡き後、平賀さんはNSPを代表して、一関市に貢献した人に授与される「市勢功労賞」を2022年に受賞した。その「お祝いをさせてください」と申し出てきたのが高橋さんだった。その縁から活動が広がり、5月5日の天野滋さんの誕生日に一関市内で、「NSP50周年記念」を銘打ったライブを2人で行った。そのホールはかつてNSPがライブをし、客席で高橋さんもいたホールだった。全国から多くのファンが詰めかけた。多くは50~70歳代、男女比は4対6ほどだった。「その昔は女子のファンが多くて男子が隠れていたみたい。でもギターのテクニックなどで注目してくれてた男子も多くてね。そんな人たちが戻ってきてくれている」。
平賀和人さん
このライブの場で、平賀さんと高橋さんは、佐藤善仁市長から「いちのせき大使」に任命される。「一関市に縁がある2人に街を盛り上げてほしい」という願いが込められている。今後どんな活動ができるのか思案中だという。
※元産経新聞経済部記者、メディア・コンサルタント、大学研究員。「乗り鉄」から鉄道研究家への道を目指している。著書に「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)、「駅メロものがたり」(交通新聞社新書)など。