駅で列車が離発着する際のメロディー、いわゆる「駅メロ」に魅せられて久しい。その土地ゆかりのメロディーが、地元の皆さんなど関係者の熱意から、実現に至るケースが結構ある。その経過は、地域おこしの物語そのものである。新聞記者として、またフリーのジャーナリストとしていくつかの「駅メロものがたり」を書いてきたが、最も印象深いのはJR仙台駅の「青葉城恋唄」だろうか。おそらくJR最古の「駅メロ」はここから始まっている。
そもそも「駅メロ」は日本独自のものらしい。海外では列車の離発着はベルの告知もなく、すっと滑り出す。いっぽう日本のダイヤは秒単位で厳格で、発車ベルが使われてきた。それが音楽にかわったのは、一説では1987年の国鉄民営化の前後、顧客サービスの見直しの一環として都内で始まったともいう。無機質なベルではなく、音楽で駆け込み乗車を減らそうとの発想もあっただろう。
だが仙台駅の「青葉城恋唄」はもっと古い。仙台を拠点に活動していたミュージシャンのさとう宗幸さんが1978年5月に自ら作曲したこの歌でデビュー。当時の旧国鉄仙台駅では、東京―仙台間を走る特急「ひばり」の到着時に「駅メロ」としてこのレコードをかけた。構内のBGMとしても使用、さとうさんがその年の大みそかの紅白歌合戦に出場した際には一晩中、かけ続けたという。当時の仙台駅長の米山晴夫さん(故人)が、さとうさんを応援したいと本社にかけあったのだ。国鉄が特定の曲を構内でかけ続けるのは異例。「まさに英断、感謝している」とさとうさんは振り返った。結果としてこの曲は、レコード売り上げ100万枚を超すヒットになっている。
この歌は、さとうさんがDJをしていたラジオ番組に寄せられた詞に曲を付けた。その際にアシスタントピアニストだったのが、音楽家の榊原光裕さん。さとうさんが番組で歌ったところ大きな反響を呼んでメジャーデビューが決まった経緯がある。1988年には榊原さん編曲・演奏による「青葉城恋唄」がJR仙石線の発車メロディーになり、翌年には新幹線ホームでも採用された。2016年からは新幹線ホームで、仙台フィルハーモニー管弦楽団による生演奏版が流れている。監修は榊原さんだ。2011年の東日本大震災を経て、地域総出で復興にかける思いも込められた。
駅の発車メロディーに曲が採用されるのは、スタンダード曲であることの証。「青葉城恋唄」は仙台の代名詞のような歌となり、さとうさんにも、榊原さんにとっても、アーティスト冥利に尽きる作品となった。まだまだ埋もれているだろう全国の「駅メロものがたり」、掘り起こしていくことをライフワークとしたい。
藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)ジャーナリスト、元全国紙経済部国土交通省担当キャップ。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に「出世と肩書」(新潮新書)、「釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝」(世界文化社)。