いよいよ大阪・関西万博の開催年となった。開幕まで残り100日余り。1970年の大阪万博に続き、大阪・関西万博にもシニアアドバイザーとして関わる、デザイナーのコシノジュンコさんに、ご自身と万博の関わりや、今の時代の万博の意義、万博を契機とした観光や旅館の魅力についてお話を伺った。(東京都港区のJUNKO KOSHINOで。聞き手=本社関西支局長・小林茉莉)
コロナ禍経て「いのち」の大切さ実感
――コシノさんと万博の関わりについてお聞かせください。
「70年の大阪万博では、建築家の黒川紀章さんからの依頼でタカラ・ビューティリオンのコンパニオンのユニホームを担当しました。ほかにも、ペプシ館、生活産業館のユニホームもデザインしました。その後、筑波科学万博のユニホームなども手がけましたし、上海万博では、中国側からの要請で上海万博大使になり、ファッションを通して上海万博を紹介する本も作りました」
――70年万博はどういった万博でしたか。
「初めてのことだらけで、何をやってもびっくりでした。みんな外国人を見るのも初めてだから、太陽の塔に驚くどころではなくて(笑い)。それまでの万博は開催国のものでしたが、大阪に世界中のパビリオンができて、『世界の万博』になったのが70年万博だと思っています」
「今も活躍する一流の建築家などの活躍のきっかけが大阪万博でした。それぞれバラバラにお仕事をしていても、アートや建築を中心に人が集まって、世界が一つになるというのは初めての経験でした。そこに私も参加できたのは奇跡だと思っています。万博は建物を建てて終わりではなくて、実際に動いてお迎えするコンパニオンが一番重要な立場になる。建築と人の関係が成功したことも大きかったと思います」
――令和に万博を開く意義はどこにあると思われますか。
「70年の万博は『未来ってありえるの』『2000年なんて来るの』というずっと先の時代の話がテーマだったので、何をやってもワクワクして新鮮でした。その後2000年を迎えて、55年前に『あこがれた未来』が現実であること自体がすごいと思います。未来は現実の延長であるものの、日々微妙に進歩して変わっていき、つかみどころがないものです。今、世の中が混沌(こんとん)としている中で、万博もそういう時代に対応するのが当たり前だと思うんですね。だからこそ『今大切なのは何なのか』と。7年前くらいに『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマが決まったわけですが、コロナ禍があって、世界各地で戦争が起こる中、このテーマは今、あまりにもぴったりで、予言かと思ったくらいです」
「世の中の動きを考えると、『いのち』というのはいいテーマだと思います。世界の誰もがコロナ禍で命が脅かされる経験をして。『いのちの大切さ』は永遠に続くものですけれど、ずっと生きていける保証はない。日本は、戦争はないけれども、地震などの違う試練があります。だからみんな、命の不確実さのようなものを背負って生きるのは当たり前のことだと思います。能登にしても、あのような伝統産業の素晴らしい産地が一瞬にして無くなってしまうわけです。でもそこに生き残った人たちは、技術を次につなげていかなければならない。こういったことは今後も起こりうるわけです。先は見えないけれども、命がつながっていくこと自体が大切で大きなテーマであると思います」
「万博は未来を具体的に元気にするための大きなきっかけだと思います。いろんなジャンルの人たちが参加して、それも世界とつながっている。世界を知るチャンスなわけです。万博はパスポートがいりませんし。一般の人が161の国・地域全てに実際に行けるかというと、ありえないですよね。それがわざわざ日本に来てくれるわけです。『日本に行きたい、参加したい』と思ってもらえることはすごいことですよね。日本が平和だからできるんだと思います」
――期待している部分はありますか。
「並ばないで入れるシステムなどでしょうか。あとは『大屋根リング』の考え方もいいと思います。リングの中に外国のパビリオンが一つになるという考え方がフェアだし、リングの上から見ると、『世界は一つ』に見えますよね。中には森もあり水もあり、そこにテーマの『いのち』がある。そしてリングに入ると一通り一気に見られる。パビリオンが1カ所に集約されているのも見やすいんじゃないかなと期待しています」
――今回は会場だけではなく、日本国中に万博を広げていく、足を伸ばしてもらうというコンセプトも特徴の一つです。
「アートなどのテーマで会場外とつながるというのが、新しいですよね。大阪・関西だけでなく『日本の万博』という考えは、もう少し広くメッセージした方がいいと思います。外国人だけでなく日本人も各地から来て、交流ができて。そこから瀬戸内や四国、和歌山などもうちょっと広い範囲までルートがつながれば、1週間くらい見て回るのではないでしょうか。万博の後、『何県の旅館に行ったら何ができる』など、観光の拠点となる宿の情報は大切だと思います」
――外国人客は、万博から日本の各地に足を延ばすでしょうか。
「フランス人などは積極的、行動的。『本当にここまでよく来たわね』というところにも外国人が来ているのを目にするので、心配ないでしょう。私たちがパリに行ってもコートダジュールだとか、『ついでにここも』と広がっていきます。せっかく日本に来たのだからと、北海道まで足を延ばす人もいるでしょうし、日本中に万博の影響が及ぶと思います。これは日本の深さを知ってもらうチャンス。なので関西以外の人たちにももっと積極的にかかわってほしいところですね。日本各地の祭りの日程なども情報発信できると、足を運んでもらえるかもしれませんね」
日本の旅館の良さは「個」にあり
――日本の旅館の魅力は何でしょうか。
「旅館は日本独特のものですよね。温泉とか、浴衣に着替えることとか。外国の小さなホテルとも全然違う。お料理もいい。特に旅館の朝ご飯は値打ちがあると思います。団体向けのブッフェスタイルではなく、部屋に運んできてくれる朝ご飯です」
「旅館の良さは『個』にあると思います。おもてなしの神髄である、一対一の人間的なおもてなしです。その『おもてなし精神』は日本人の生き方ですし、それを徹底してやれるのが旅館の良さだと思います。湯加減などの細やかな気配りは、世界で他にないですよね」
――温泉がお好きなのですか。
「温泉は心が温まるという感じがして、独特のうれしさがあります。外国にも温泉はありますがどこもプールのようです。日本の温泉は、ドロドロだったり、温まったり、真っ白だったり、鹿児島・指宿の砂蒸し風呂とかも面白いですよね。それぞれの特徴をもう少し分かりやすく発信してほしいですね」
――万博に向け、旅館の魅力を高めるためのアドバイスはありますか。
「お料理は重要だと思うんです。旅館にありがちなのが、お刺し身やお肉を一気に出してしまって、温かいものも冷めてしまっている。あれはおもてなしではないと思います。せっかく遠くまで来たのに、おいしくないのは意味がないですよね。料理は温かいものを温かく食べるナイーブなものであって、それが本当のおもてなしだと思います。あとはどんなお料理が特徴なのか。量もあんなにたくさん出す必要はなくて、本当においしい一品こそ必要だと思います」
「旅館は本物を知る場なのですから、本物のおもてなしだったり、質の高い日本の食文化だったりを育てていってほしいですね」
――今、外資系ホテルが日本風の旅館を作ろうとしています。
「日本が好きな外国人は多いですが、日本の伝統的な旅館には慣れていません。その人たちのためにも『コンテンポラリーなかっこいい旅館』があればいいし、私も行ってみたいとは思いますね。ただ、ホテルはオーナーの顔が見えない。老舗の旅館などはオーナーの顔が見えるし、おもてなしの質も環境もホテルにはない伝統があります」
「日本の食の特徴に『旬』という考えがあります。旅館だとお料理に季節感を感じる添え物があったり、器で季節を表したりしますよね。外国には四季のない国がたくさんあります。旬と日本の四季の移ろいを自然と共に見せることも、旅館であればこそもっとできるのではないでしょうか。日本は四季に感謝です」
コシノジュンコ ファッションデザイナー。2017年から2025年博覧会誘致特使を務め、現在は大阪・関西万博シニアアドバイザー、催事検討会議委員。1978年パリ・コレクションに初参加。2017年文化功労者、21年フランス共和国よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、22年旭日中綬章受章。観光関連では、08年に「YOKOSO! JAPAN大使」(現・VISIT JAPAN大使)に任命。
コシノさんは海外への日本の魅力発信、観光促進にも長年協力。04年には「ニッポンのもてなし」をテーマに、パリとベルリンの日本大使公邸で行われたレセプションをプロデュース。日本ならではのしぐさや用の美を、ファッションや武道などを組み合わせて、五感を通して紹介する試みを行った