【はじめに】
新型コロナウイルスのパンデミックが、4年にしてようやく収束の兆しを見せている。
人類が地球規模で体験したこの大事件は今後の人類の未来に大きな影響を与えようとしている。コロナから何を学び、コロナ後の世をどう生きるか? それはこれまでの狂奔する経済至上主義一辺倒では解決しないだろう。
そこで私たちは一度立ち止まり、新しい局面を生き直すための実験を試みなければならない。
そのためのヒントのひとつとして、(仮説の段階ではあるが)「みなかみ紀行」に見る牧水の旅の心を探ってみたいと思う。
【牧水・みなかみ紀行の旅をたどる】
若山牧水は群馬県みなかみ町を二度訪れている。その旅をまとめた名作、みなかみ紀行の旅のモチーフは、あくがれの旅であり、命光らせる旅であり、そしてあめつちの中に小さな自分を見いだす心の旅であったろう。
牧水はこの町に入ると、まず、義民茂左ヱ門を祭る千日堂に参拝している。そして利根沼田の農民のために命を懸けて戦った茂左ヱ門の心と行動に感動し涙を流している。
また、歩き始めて間もなく通りかかった道の左手の黒岩渓谷の景観に目を奪われている。巨岩と清流と紅葉の織り成す光景について、まるで絵の具を流したようだと形容している。
さて、三国の山ふところには小さな部落があり、そこには牧水の歌の弟子であるM君が住んでいた。その家のいろり端でまつたけのみそ漬けでお茶を飲みながらM君のつくる歌の話をする。
彼のつくる素朴な作風の歌はM君の山国人らしい質実な性格と相まって牧水は大いに気に入ったようだ。
このM君をも誘って牧水は一路、目指す法師温泉へ向かった。
牧水は川の源に強くひかれる傾向があった。「川の源の初めの一滴を考えると、心が胸苦しくなるのを覚える」と表現している。
太古の自然が豊かに残るこの法師温泉はその水源のひとつでもある。
あくがれの法師温泉での大浴場・地酒とそして歌の弟子たちとの語らいはさぞ牧水の心を光らせたに違いないと思う。
【おわりに】
地元牧水ファンは牧水が訪れた10月23日、牧水の歩いた道をワラジを履いて歩く。
読者の皆さまも、牧水があくがれて分け入ったこのみなかみで大自然と自分の心を見つめ、もう一度生き直す旅をおすすめしたいと思う。