温泉旅館の生き残り戦略
ハイアットグループが小規模ラグジュアリー温泉旅館を始めるというニュースがあった。日本の温泉と地域文化に特化した30~50室の施設を2026年中に由布、屋久島、箱根の3地域で開業するという。温泉旅館が世界に認知されることはわれわれ業界にとって追い風であるが、同時に新たな競争環境に立ち向かっていかなければならない危機でもある。
温泉旅館の経営において「料理」「サービス」「温泉」「施設」の4要素を充実させることが重要であるといわれてきた時代があった。温泉旅館に宿泊することが主目的であった団体客や家族旅行客に対してはそれは正攻法であり、競争相手が少ない温泉地ではそれ以外の要素など考える必要さえなかった。
インバウンドの急拡大やコロナ禍以降の新たな旅の需要など温泉地を取り巻く環境はここ5年で大きく変化した。観光が大きな注目を集め、国内外から多くの資本が温泉地に流れてくる状況は温泉旅館に新たな変革を求めてくる。かつての4要素を充実させるだけでは巨大な資本とネットワークをもつグローバル企業に対しては無力であり、ましてや彼らが小規模ラグジュアリー施設を手がけるとなるとオーナー経営者の独りよがり独自性では勝てるわけがない。
温泉旅館の本質的な価値は長い年月をかけて培ってきた地域との関係性にあると思う。地域の雇用の受け皿となり、また時には祭りや行事にも積極的に協力しながら、地域と共に発展してきた歴史を多くの温泉旅館は持っているのではないだろうか。
皆さんはスイミーという絵本を覚えているだろうか。小さな魚たちが集まって大きな魚影をつくり、大きな魚を追い払ったという物語である。早かれ遅かれ世界中からさまざまな資本が国内の温泉地にやって来る。こんな時に地域が一つの魚影を作ることができなければ、われわれのような零細宿泊施設はすぐに淘汰されてしまう。
地域のビジョンを共有し、思いをもった事業者同士が互いに連携しながら、世界に対して戦える地域ストーリーを描く。私はこれこそが生き残りの唯一の戦略であると考えている。それは単一温泉地でもよいし、広域連携でも構わない。世界的にみて競争力のある地域ブランドとして顧客が認知できるかどうかが重要である。
そして温泉旅館の価値を作っていくためには地域のブランド価値を担保するサービスを提供することで地域にとっても宿にとっても互いの価値を高めあう仕組みができる。生き残りの鍵は宿が中心となった地域一体化である。
いせん代表取締役(雪国観光圏代表理事) 井口智裕氏