100年後に残る草津の地図を製作
草津温泉に電燈が灯されたのは、今から100年前、1919年(大正8年)のことでした。翌年の5月に、歌人・若山牧水が草津を訪れ、「上州草津」に書かれた一節に次のような記述があります。
「そのうちに附近に料理屋などあるらしく、賑やかな三味線の音が聞え出した。宿のツイ裏手の山の上にも雪の残ってゐるほどで、夕方かけて増して来た寒さと共に其処らに立ち騰る湯気が次第に深くなつた。そしてその中にそちこちとうるんだ様に電燈が点つてゐるのである。湯揉みの板の音がいよいよ烈しく、その唄も次ぎから次ぎと続く、そしてその間には料理屋の三味線の騒ぎが聞え、按摩の笛も混る」
時間湯の湯もみ板の音、三味線や按摩の笛の音が聞こえる、100年前の風情ある温泉街。そして、そちこちとうるんだ様に電燈が点ってゐる…とあるように、100年前には、まだ電燈が灯る宿屋も少なかったのでしょう。
その後に発行された草津温泉の古地図(鳥瞰図)では、盛んに電線や街灯が描かれており、温泉街が電化を進めていることをPRしています。こうした動きは、関戸明子著「草津温泉の社会史」に詳しく書かれています。
数年前に、草津温泉女将の会で、「草津こみち」という女将のおすすめマップを作りました。中之条ビエンナーレで活躍されているイラストレーターさんに草津の名所を描いていただきました。私たちの宿40軒と、町歩きの途中で一息つけるカフェも地図の中に入れました。とても素敵な地図ができ上がりました。草津町から補助金(誘客対策費)をいただき、毎年増刷して、お客さまにお配りしています。
現在、2122年への贈り物プロジェクト~100年後にも残る草津温泉の地図を作ろう~という目標を掲げて、草津こみちを再編しています。草津温泉の街並みの中に、旅館共同組合に加入している全組合員106軒の宿名を記載した地図となります。
100年たっても色あせないインクや紙材を使用し、強酸性の蒸気でも腐蝕しない額縁に入れて、106軒の宿と30軒の町内公共施設に配布の予定です。100年後にも、草津の町のどこかにこの地図が残っていますように!
黒岩信忠町長を中心に、草津温泉は100年後を見据えた大改革が進行中です。私たち女将会でも、草津温泉の100年後が豊かな町であるために、ささやかな贈り物を創出する企画をこれからも提案していきたいと考えています。