阪神・淡路大震災からの復興が残したもの 室崎益輝・神戸大学名誉教授に聞く


室崎益輝・神戸大学名誉教授

「観光は復興のエンジン」 地域産業として非常に重要

 観光経済新聞、東京交通新聞、塗料報知、農村ニュース、ハウジング・トリビューンの専門5紙誌は、2024年度のキャンペーン企画として「地域が創る復興・活性化の未来図~大災害の教訓から」と題した連載企画を実施します。これまでの震災からの復興をそれぞれの視点から取り上げ、地域活性化への道筋を探ります。第1回のインタビューは、「阪神・淡路大震災からの復興が残したもの~持続的なまちづくりに向けて~」をテーマに、室崎益輝・神戸大学名誉教授に、復興を通じて得たもの、引き継がなければならないものなどについて話を伺いました。

 ――実際に阪神・淡路大震災も経験されているが、震災の前後で変わったこととは?

 私は1968年から防災の研究に関わり、兵庫県や神戸市の防災計画などにも携わってきたが、大震災を通じて私の立ち位置のようなものが大きく変わった。以前は行政と連携して安全な社会をつくろうと取り組んできた。広い道路をつくる、建物の耐震化を図る、防災拠点などを整備するなど防災の中心は行政であり、その先に市民がいると考えていた。しかし、震災で私たちの研究や提言が市民に伝わっていなかったことを実感し、専門家は行政ではなく市民に目を向けなければならないと強く感じた。

 例えば、学会で論文を発表する前に市民向けのシンポジウムを行うようにした。学会での発表は1年後、2年後という視野となるが、防災の研究は、市民に向けて今何をすべきかを語るべきものであり、まず市民に研究成果を伝えなければいけないと考えたからだ。私は7対3の位置関係と言っているが、市民に7割のウエイトを置くということ。安全な社会をつくる主人公は市民自身であり、市民一人一人が災害に対する正しい考え方を持つため、専門家は市民とともに歩まなければいけないと考えている。

――阪神・淡路大震災における復興の考え方、また、成果などについて伺いたい。

 大規模災害の直接の原因は大きな自然の破壊力だが、それだけで大きな被害が生まれているわけではない。大規模災害はその時代の社会のひずみのようなものを表にさらけ出す。つまり自然的要因と社会的要因が複合して大規模な被害が発生すると考えている。

 阪神・淡路大震災の時に思ったのは、戦後50年の高度成長とともに進んだ都市開発が本当に正しかったのかということだった。まちの中にあった緑を伐採し、川を埋め立て、自然を破壊するまちづくりが果たして良かったのか、あるいは若者夫婦だけが郊外のニュータウンに出ていき、高齢者だけを古いまちに残したことが本当に良かったのか。まさに社会全体の在り方、都市計画やまちづくりの在り方が問われた。こうした社会の問題にしっかりと答えを出すことが復興の大前提となる。

 例えば、阪神・淡路大震災では全国からボランティアが集まり、その数は1日1万~2万人に達した。しかし、能登半島地震では行政側が交通渋滞を理由に来るなと言い、ゴールデンウイークにも1日千人程度しか集まらない。阪神・淡路大震災は都市部の大災害でもっと大きな交通渋滞が起きていたが、大阪から中学生や高校生が徒歩で駆けつけてくれた。経験が受け継がれるどころか壊れてしまっている。これは能登地域だけの問題ではなく、日本社会全体が疲弊しているからではないだろうか。人々が助け合う社会をどうつくるか、それを能登半島地震は問いかけているのだと思う。

 阪神・淡路大震災の復興にあたり、まず大きなテーマを三つ設定した。一つは、二度と同じ悲しみを繰り返さないために安全な社会をどうつくるかということ。この点については、区画整理をし、防災拠点の整備を図った。また、日本全体では建物の耐震性向上を図る法整備などが講じられた。

 二つ目が被災者の自立で、被災者が自らの力で暮らしていける社会をつくらなければいけないということ。まずは住宅、そして仕事が重要となる。つまり生活と生業をしっかりと回復するということだ。これについての大きな成果は、被災者生活再建支援法ができたことだろう。それまで個人の住宅再建に対して税金を使うことができなかったが、被災者の暮らしを守るという視点から公金を使う道筋が示された。

 三つ目は、社会の矛盾、過ちを正していこうということ。スローガンとして自然との共生、高齢者が安心して暮らせる福祉社会などの方向性を打ち出した。

 この中で最も重要なのが二つ目の被災者の自立した暮らしの実現だ。私は火災の専門家だが、防災に強い街をつくるのであれば延焼防止のために30メートル、40メートルといった幅の道路をつくる、木造密集市街地をなくし不燃建築物を計画的に配置するなどが理想的な答えとなる。しかし、私は、復興を検討する場でそうした発言を一切しなかった。防災だけを追求していたら復興など永遠にできない、まずはみんなが住めるまちをつくることが重要だと考えたからだ。

 東日本大震災では、防災を最優先し津波が来るところに住んではいけないとコミュニティを壊し、津波を防ぐためと高い堤防をつくって景観を壊してしまった。私たちは防災だけで生きているのではない。家族の団らんが必要だし、おいしいものも食べたい。もちろん長期的な課題として防災を忘れてはいけない。しかし、安全だけを追求するのではなく、自然や文化との共生、一人一人の幸福を大前提としながら、その中で安全をどのように位置づけるかという視点に立たなければいけないと考えている。

 最終的には、将来のまちをつくる時に、市民一人一人の声をどういう形で計画の中に入れ込んでいくのか、その合意形成が非常に重要になる。

 阪神・淡路大震災からの復興を通じての最大の成果は、ソフト的な仕組みが整備されたことだ。まちづくり協議会のような仕組みが出来上がり、市民参加のシステムができたことが一番大きな成果だと思っている。

 阪神・淡路大震災では、専門家や市民が集まって復興を検討する研究会や団体を立ち上げ、いろいろな提案を行った。例えば、阪神疎水構想というものがあった。淀川の水を神戸の被災地に引き込み、まちの中に水を流すことで自然景観を生み出し、災害時の消防用水にもなるというものだ。自然と共生するまちをつくらなければいけないと構想をつくったが、現実問題としてなかなかうまくはいかなかった。ただ、復興にあたっては市民が理想や理念を語ることが非常に重要だと考えている。

 ――生活と生業をしっかりと回復することの重要性を指摘されたが、阪神・淡路大震災の復興において産業の復興はどのように取り組まれたのか。

 元通りに人が住み続けられるということは、そこに経済が成り立っていなければならない。結論を言えば、神戸の復興においては灘のお酒、ケミカルシューズ、周辺地域の農業・漁業など地域密着型の経済システムを十分につくることができなかった。神戸独自の産業が衰退し、今、多くの人が大阪に働きに行っている。

 復興は住宅再建が重要、だから公的助成を求めて兵庫県や日本生協連などの団体が署名活動を行い、2400万人分の署名を国に提出もした。その一方で、地域産業の復興の取り組みは弱かったと言わざるを得ない。もちろん言葉として地域産業の育成をとは言われたが、具体的に働き手をどうするかといった議論をもっと行うべきであったと思う。例えば、神戸のゴム工場は戦後から九州をはじめいろいろな地方から来る職人に支えられていたが、仕事がなくなることで一斉に職人が帰ってしまい神戸のケミカルシューズの文化、ノウハウは消えてしまった。

 こうした反省も引き継いでいかなければならない。しかし、能登半島地震の復興では、相変わらず仮設住宅をどうするかといった議論ばかりしている。むしろ、仮設商店街をどうつくるか、輪島の朝市をどうするかといった議論をし、地域産業を復興の中心の柱とすることが必要だと思う。そうすれば人は帰ってくる。能登半島は震災前から人口減少が続いているが働く場所がないからだ。

 では、どのような仕事が良いのか。分かりやすい例で言うと、東日本大震災の被災地では水田が太陽光発電パネルに置き換わってしまった。しかし、太陽光発電パネルは雇用を生み出さない。むしろ水田があれば地域密着の1次産業がそこで続くことになる。昔からそこにあった産業を継承するだけではなく、新たな産業を興すことも重要となる。将来を見通した産業政策を持ち、その産業を復興の中で育てていく必要がある。

 産業構造をどうするのかを考える上で重要な視点が自給力を高めることだ。農業や林業、畜産業など生活に密着した産業をどう位置づけるか、そしてその延長線上に新しい産業の創造、育成がある。

 新しい産業という視点からは、観光業が地域産業として非常に重要だと考えている。地域の文化を育むという意味から観光業に対する復興政策はもっとあっていいはずだ。

 東日本大震災で言えば、海岸など第一級品の自然景観があるにもかかわらず復興で全く生かされないどころか、それを堤防で隠してしまった。また、能登半島には黒い瓦で黒い板を張った独特の住宅が素晴らしい景観をつくっている。しかし、この文化的景観が残るかどうか怪しい。阪神・淡路大震災でも御影石を使った石垣は危険だからとスチールのフェンスに置き換わり、瓦屋根は危険だからと他の屋根材に置き換わってしまった。それでよかったのか、もっと地域の歴史や文化を大切にすべきだったのではないかと考えている。

 私は「観光は復興のエンジンだ」といつも言っている。それは非常に大きな力だ。今、多くの外国人が日本を訪れている。日本の豊かな自然、豊かな精神文化を求めており、それに耐え得る文化や自然を残すことが観光の原点だと思う。観光のニーズは無限大で、その視点から日本の将来を考える、復興を考えるということが必要ではないだろうか。

室崎 益輝氏(むろさき・よしてる)1944年生まれ、77年神戸大学工学部講師、80年同助教授、87年同教授、98年神戸大学都市安全研究センター教授。独立行政法人消防研究所理事長、総務省消防庁消防大学校消防研究センター所長、関西学院大学総合政策学部教授、兵庫県立大学減災復興政策研究科長などを経て、現職。内閣府中央防災会議専門委員会委員、海外災害援助市民センター代表、日本災害復興学会会長、地区防災計画学会会長などを歴任。

 
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