
西氏
宿屋大学(近藤寛和代表)は4月23日、ハイブリッドセミナー第196回宿屋塾「人の心が動くトレンドのつくり方~敏腕編集長に学ぶ、アイデア発想からブーム創出まで」を東京YMCA国際ホテル専門学校(東京都新宿区西早稲田)で開催した。リクルート発行の旅行情報誌「じゃらん」で約30年にわたり編集者として活躍し、関東・東北じゃらん編集長などを歴任した西尚子氏が講師を務めた。創刊から35年の歴史を持つ「じゃらん」が今年3月に惜しまれつつ休刊となったことを受け、西氏の退職後初の講演として注目を集めた。
トレンド発掘と進化の重要性
「貸切風呂」「サービスエリア・パーキングエリア」「いちご狩り」——。じゃらんが生み出してきた観光トレンドは数多い。西氏はこれらの成功事例を紹介しながら、トレンド作りのポイントを解説した。
「貸切風呂特集は、創刊5年目の1990年に始まりました。当初は営業担当の現地スタッフが『平日使っていない風呂をお客様に開放してはどうか』と宿に提案したところから始まったんです」と西氏は語る。一方で、編集部には「せっかくカップルで来たのに風呂で離れ離れになるのは嫌だ」という読者アンケートが届いていた。その声を受け、特集を組んだところ爆発的に人気となった。
「サービスエリア・パーキングエリア特集」も1993年からスタートした人気企画だ。「当時はトイレ休憩のイメージしかなかったSAやPAですが、編集部の月1回のブレスト会議で『あそこのジャンボフランク絶対食うんだよね』『あのアイスクリームが美味しい』という話が出て企画化しました」と西氏。取材を進めると、トラック運転手向けに地元のお母さんたちの手作りおかずを提供している小さなPAの存在なども発掘できたという。
「いちご狩り特集」は1996年に誕生。「元々バスツアーのイメージが強かったいちご狩りですが、調べてみると個人でも予約なしでOKな観光農園が多く、伊豆だけでなく千葉や埼玉にもたくさんありました」と西氏は説明する。この特集は大反響を呼び、ある千葉の観光農園は午前中でイチゴが全部なくなり、町長から感謝状をもらったほどだったという。
講演する西氏
体験して語ることの大切さ
トレンド作りの重要ポイントについて、西氏は「体験として語れることが大事」と強調する。「当時の上司だった編集長から『まずは自分が体験すること、そしてカスタマー視点で徹底的に考えろ』と叩き込まれました。どうしてもそれができないなら、それが好きな人100人以上に話を聞いて、我が事として話せるくらいまで叩き込めと言われたんです」と西氏は振り返る。
その教えに従い、西氏自身も様々な体験に挑戦してきた。「当時私はスキー派でスノーボードは大嫌いでしたが、編集長の『行くぞ!』の一声で全員でスノーボードスクールに行きました。また日本酒が苦手だったのに美味しい日本酒を知るべきだと言われて、日本酒に合う料理を提供するお店に取材に行ったことで、人生が変わりました」と西氏は笑顔で語る。
「好きなことを深めると視野が広がります」と西氏。日本酒に興味を持ったことで利き酒師の資格を取得し、旅先での体験や人との出会いが広がった。「旅先の居酒屋での会話が変わりますし、普段なら絶対頼まないようなご当地メニューも試すようになりました。やがて『酒旅ジャラン』という本を提案し、セブンイレブン限定で発刊することもできました」と成果を語った。
編集企画立案の基本とポイント
編集企画を立案する基本として、西氏は以下の5つのポイントを挙げた。
1. 読者アンケートをひたすら読む
2. クチコミの深層心理を分析する
3. 自ら経験する
4. 体験者の声を聴く
5. 誰に何を勧めるかを考える
「口コミの分析で大切なのは、単に良い悪いではなく、その根っこに何があるかを考えること。例えば、悪い口コミでも実は8500円の宿に2万円の価値を求めていたりします。良い口コミでも、清水の舞台から飛び降りる気持ちで泊まった憧れの宿だとすれば、すべてがキラキラして見えている可能性もある。冷静に見極める必要があります」と西氏は指摘する。
また「誰に何を勧めるか」という点について、「惹かれるポイントが同じとは限りません。例えば箱根・強羅駅前の和菓子屋さんでも、見た目の可愛さに惹かれる人、新鮮な食材のこだわりに惹かれる人、駅前の好立地に惹かれる人など様々です。アンマッチな状態でおすすめしても受け取ってもらえません」と説明した。
おもてなしの本質とは
西氏は全国の宿を取材した経験から、心に残る「おもてなし」について8つの具体例を紹介した。そのひとつが「オンボロマイクロバスとビニール傘のアーチ」だ。
「長野県蓼科高原にある宿では、何十年も使っているオンボロマイクロバスで1時間ほど山道を上がるんですが、雨漏りしている状態でも運転手さんが楽しく話し続けてくれる。宿に着くと従業員全員がビニール傘でアーチを作って出迎えてくれるんです。どんな状況でもおもてなししようという気持ちが伝わってきました」と西氏は語る。
また「花巻温泉の宿では、玄関から廊下、客室の洗面所まで、すべて一輪挿しの花が生けてありました。『毎日大変では?』と聞くと、『庭や裏山できれいだなと思った花を皆が取ってきてくれる』と女将さん。ちょっとしたことでもおもてなそうという皆さんの所作がとても美しく見えました」と西氏は感動を語った。
一方で「充実したドリンクメニューなのに説明があやふやなスタッフがいた宿」「ワインのペアリングの説明が一度もなかった宿」など、残念な体験も紹介。「ハードよりソフトが大事。私たち旅行者の心に残るのは、旅先で体験した『本当に楽しんでほしい』という気持ちから出た言動です」と西氏は強調した。
人の心を動かす鉄則
観光業に携わる人々に向けて、西氏は「宿を知る」「エリアを知る」という2つの視点から実践的なアドバイスを提示した。
「宿を知る」では「自分は自腹でここに泊まりたいと思うか」という視点が重要だと指摘。「アンケートやクチコミの○と×をあぶり出す。特に×には絶対ヒントがたくさんあります。俗人的なことなのか、建設的なことなのか見極めることで、改善点が見えてきます」と西氏。
「お金をかけずに気持ちよく過ごせることを考えてみてください。例えば夏に道の駅で曲がったきゅうりをお風呂の出口に氷で冷やして『おつかれさまでした』と提供したり、冷蔵庫に浅漬けを置いて『お風呂で熱くなったら食べてください』と一言添えたり。人間は最後に残った記憶が強く残るので、ちょっとした工夫が大切です」と実例を挙げた。
「エリアを知る」については「誰が何に惹かれているのかを理解する」ことが重要だと強調。「観光スポットに実際に行き、新しくできた施設をすぐチェックし、自腹を切って体験してみることが大事です。また、SNSで発信も欠かせません。来てもらってから見てもらうのではなく、気づいてもらって来てもらう発想が必要です」と西氏は説明した。
最後に西氏は3つの鉄則をまとめた。「経験したから伝わる—自信を持って自分の言葉でおすすめできるか」「お値打ち感—設定金額以上の価値があると思えるか」「ターゲット—相手に合わせて紹介の仕方を変えられるか」。「これらを意識すれば、お客様の心を動かすトレンドを作ることができるでしょう」と西氏は締めくくった。
【kankokeizai.com編集長 江口英一】