4月29日、筆者は長野県伊那谷の長谷中尾地区にある中尾座で催された「中尾歌舞伎春季定期公演」を楽しんだ。250年前に旅芸人により伝えられたという歌舞伎は、地元の住民が習い覚え、代々祭りや祝い事の時に演じられてきた。
江戸末期には、わずかな炭焼きの収入からお金を出し合って引き幕を作ったほど、長らく住民の暮らしに溶け込んだ芸能だった。太平洋戦争により途絶えたが、30年ほど前に青年会を中心に保存会を立ちあげ、復活した。以来、春と秋に定期公演を開催してきた。
しかし、住民が100人を切った地区の高齢化などにより活動が厳しくなり、昨年はやむなく休止。その後、存続を望む多くの声を受けて1年半ぶりに再開されたものだ。そのせいか、当日は立ち見も出る盛況で、投げ入れられたおひねりが山をなしていた。
中尾座がある伊那谷は中央アルプスと南アルプスに囲まれ天竜川流域に広がる地域で、中馬(馬背を利用した運送業)が栄えた交通の要衝だけに、昔から芸能の宝庫だった。例えば、人形浄瑠璃も28座あった。というが、今上演を続けているのは4座だけだ。
このように、あちこちの集落で歌舞伎や人形浄瑠璃、神楽などの民俗芸能は演じられてきたが、過疎化と高齢化の嵐の中で多くが休止を余儀なくされてきた。中尾座の再復活に際しても、超えるべき難題がたくさんあったという。
全国の祭りも同様だ。7月1日付朝日新聞「天声人語」によれば、愛媛県西予市城川町で開かれてきた7月恒例の「どろんこ祭り」(御田植祭り)が休止になったという。祭りに欠かせない若衆と農耕牛が足りなくなり、高齢者の負担が耐え切れなくなったからだ。
言うまでもなく、民俗芸能や祭りは習得に時間がかかるだけに、いったん消滅すると復元は不可能に近い。だから、福島県桧枝岐歌舞伎伝承団体、「千葉之家花駒座」は「歌舞伎を守り続けることは、桧枝岐に住む者の使命だ」と固く決意する。
問題は、地域の衰退の中で存続の工夫をどうするかだ。神事に由来するだけに行政を頼れないから、うまく観光に生かすことが大事だが、実態はなかなか通年観光につなげられない。
その点、伊那谷の大鹿歌舞伎は中学校や海外での公演を通して若い世代への継承を確実にしている。しかも大自然に包まれた神社の境内での上演が舞台と客席全体を一体化、観光客と住民が分け隔てなく楽しめ、通年観光にもつながっている。
小さな集落に残る伝統文化。中尾地区の住民が心から喜ぶ場に浸りながら、その継承・存続に観光関係者はもっと知恵を凝らさなければと、痛感させられた一日だった。
(大正大学地域構想研究所教授)