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地域観光 ■第2726号《2013年11月2日(土)発行》    
 

岩手県田野畑村、机浜番屋群再建へ着工
22棟を再建する机浜番屋群の完成イメージ

 岩手県田野畑村はこのほど、東日本大震災の津波で流失した「机浜番屋群」の再建に向け、施設の整備に着工した。番屋群は、地元の漁師の作業場所であると同時に、漁業や漁村文化を体験する「番屋エコツーリズム」の拠点だった。震災前の姿を基本として再生し、来年3月中旬に完成を見込む。4月からは漁業への利用はもとより観光客の受け入れを始めたい考えだ。

 田野畑の沿岸は魚類やアワビなどの好漁場で、ワカメなどの養殖も盛ん。番屋は、漁具の収納やワカメの乾燥作業などに使われる。机浜番屋群は、1933(昭和8)年の三陸大津波の後に建てられた25棟で構成。体験・交流型観光の受け入れ拠点でもあり、地元の漁師と交流しながら、漁業や漁村文化に触れるプログラムを提供してきた。

 しかし、震災の津波で全棟が流失してしまったため、番屋22棟を再建する。番屋の建物は周囲の景観になじむ以前の外観を基本として設計し、配置も震災前の通りにした。事業費は2億5600万円で国の復興交付金を充てる。

 番屋の用途別内訳は、漁師番屋13棟、食体験番屋1棟、塩づくり番屋1棟、ダイビング番屋2棟など。漁師番屋は漁師に貸し出して実際の漁業に使用してもらう。観光客の受け入れでは、食体験番屋を漁師料理の体験に、塩づくり番屋を海水からの製塩体験などに使う。ダイビング客を呼び込む新施設としてダイビング番屋も設置する。

 田野畑村の観光復興では、小型漁船を使って沿岸の断崖絶壁などを巡る「サッパ船アドベンチャーズ」の今年4〜10月の参加者が約6千人に上り、震災前を上回っている。村内唯一の大型宿泊施設で、震災で建物に被害を受けたホテル羅賀荘も改修を経て昨年11月に営業を再開した。

 田野畑村政策推進課の渡辺謙克氏は「机浜番屋群の再生は田野畑にとって復興のシンボル。語り部から防災を学ぼうと訪れる旅行者は多く、来年以降の教育旅行に関する問い合わせも入っている。番屋群を再生して受け入れに活用し、復興の弾みにしたい」と話している。

 机浜番屋群の再生では、全国の個人や企業、団体などの支援者から集めた寄付金を維持管理などに生かしていく。支援者には、すでに番屋再生の構想策定などに参加してもらったほか、今後も伝統漁具の収集や木造サッパ船の復元などの活動に協力してもらう予定。



山形県、旅行業者にDCの素材を説明
説明会で送客を呼びかける武田事務局長

 山形デスティネーションキャンペーン推進協議会(会長・吉村美栄子知事)は10月28日、東京・飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで、首都圏の旅行会社の商品造成担当者らを集め、説明会を開いた。

 山形デスティネーションキャンペーン(DC)は来年6月13日〜9月13日に開催。10年ぶり6回目となり、今回は「日本人の心のふるさと 美しい山形」を実感できる滞在型の旅の提案を基本コンセプトに、さまざまな仕掛けを用意し、観光客迎える。

 説明会の冒頭あいさつした協議会事務局長の武田啓子・県観光交流課長は「全産業参加、県民総参加でDCを展開、成功させたい。多くの送客をお願いしたい」、JR東日本の深沢隆幸・本社営業部提携販売グループ課長は「いま素材の磨き上げをやっているが、それらの素材とJRを活用した商品を造成していただき、一層の送客を」とそれぞれ訴えた。

 岡崎弥平治・誘客対策委員長がDCの展開方向、事務局の西堀公司氏が取り組みについて述べた後、村山、最上、置賜、庄内の4エリアの魅力を紹介した。

 DCに合わせ、県内の10温泉地で県産のコメとおかずで宿泊客においしい朝食を味わってもらう「やまがた朝ごはんプロジェクト」を展開する。25日現在、80軒弱の旅館が参加することが決まっており、今後とも増えそうだ。

 たとえばかみのやま温泉では、沢庵禅師から伝えられたレシピを忠実に再現したたくあん、赤倉温泉では地元のねぎ農家が3年の月日をかけて作り上げたネギ味噌などを提供する。

 このほか、日本一のさくらんぼ祭り(14年6月21〜22日予定)や国宝をめぐる旅、観光周遊バスの運行などを紹介した。



東京・上野に「海女カフェ」、期間限定で開設
 東京都の荒川区商店街連合会と台東区商店街連合会は1日から10日まで、NHKドラマ「あまちゃん」の東京編の舞台になったJR上野駅近くにあるアメ横センタービル(東京都台東区)に「海女カフェ」を開設する。ドラマの放送でアメ横(アメヤ横丁)を訪れる観光客は増えており、両連合会では観光地としてのアメ横の認知度向上につなげたい考えだ。

 海女カフェは、ドラマの主人公、天野アキが町おこしのため、北三陸市内に造った施設。また、同ビルには人気アイドルグループ「アメ横女学園芸能コース」が公演する「東京EDOシアター」が入っているという設定になっていた。

 今回同ビルに期間限定で設置する海女カフェは、NHKや故郷編の舞台となった岩手県久慈市、三陸鉄道の協力で、ドラマで使われた海女カフェセットの一部を再現するとともに、北三陸鉄道の運転席での記念撮影コーナーを設置する。さらに、アキが一時加入していたアイドルグループ「GMT」のステージ衣装などを展示する。

 海女の衣装を着たスタッフが観光客に応対し、あまちゃんTシャツやあまちゃん手ぬぐいなど、ドラマの関連グッズを販売する。入場無料。

 また、久慈市観光物産協会は15日、上野恩賜公園(同区)で観光物産展を開催する。同市の地場産品を販売するほか、キッチンカーを持ち込んで本場のまめぶ汁や磯ラーメンなどを観光客らに提供する。



世界ジオパーク認定の隠岐諸島、島根県がPR強化
250メートルの断崖「赤壁」

 島根県は10月2〜4日、首都圏のメディア関係者を対象にした隠岐諸島を巡るプレスツアーを開催した。県が隠岐に焦点を当てたプレスツアーを行うのは初めて。9月に世界ジオパークに認定された隠岐の大自然を中心に、伝統的な「古典相撲」や隠岐に配流された後鳥羽上皇の足跡を紹介しながら、島の景観や文化、歴史をアピールした。

 隠岐諸島は、「島前」と呼ばれる西ノ島町、海士町、知夫村の三つの島と、「島後」と呼ばれる隠岐の島町がある島、計四つの有人島と180の無人島で構成される。

 島根の境港から隠岐の島町の西郷港までは高速船で1時間30分、飛行機では出雲縁結び空港から隠岐空港まで30分、伊丹空港からは1時間で着く。

 隠岐観光協会によると、昨年の隠岐4島の観光客数は20万人。主にシニア層が中心で、7割が個人旅行だった。全体の6割が中国地方からの観光客で、近畿からは2割程度。関東からの観光客は1割弱しかいない。飛行機だと羽田から約2時間の距離だが、知名度の低さが悩みの種だ。

 世界ジオパークの認定をきっかけに、今後は特に関東を中心とした若い世代の誘客を促進したいところ。隠岐の観光業界に携わる20〜30代の有志が、同世代の誘客を図ろうと、地元旅行会社と共同で女子旅に焦点を当てた商品を開発するなど、注目していきたい動きもある。

断崖絶壁を遊覧船で観賞
 島前と島後の4島は約600万年前の大規模な二つの火山活動によって形作られた。島前の三つの島は外輪山としてカルデラ地形を形成しており、内海は世界に二つしかないカルデラ湾になっている。

 島後の隠岐の島町北西の福浦岸壁から小さなローソク島遊覧船が出ている。船は沖合50メートルに佇む、高さ20メートルの奇岩、ローソク島に向かう。ローソク島は、夕日が岩の先端に重なるとまるで巨大なろうそくに火が点ったように見えることから名付けられた。近くで見ると熱さまで感じるという。

 プレスツアーを担当した隠岐観光協会の脇田円さんは「ローソク島を見るために隠岐に来る人がいるほど人気。夕日が点ると“パワー”がもらえる」と語る。

 同船は4〜10月に毎日運航している。

 島前の海士町の菱浦港からは国賀めぐり定期観光船が出航している。西ノ島中央の船引運河を通り外海へ。日本海の高波を進み、国賀めぐりのハイライト、摩天崖へ。

 目の前に現れた摩天崖の大絶壁は高さ257メートル。隆起と日本海の強い潮風により海食された岩肌に、溶岩流と火山灰などが交互に積み重なった地層を見ることができる。

 摩天崖の周りには、コバルトブルーの色をした洞窟「明暗の岩屋」など、神秘的な岩や洞窟が点在する。

 国賀めぐり定期観光船は4〜10月。

 島前で最も南に位置する知夫村には高さ250メートルの断崖、赤壁がそびえ立つ。まるで削り取られたような荒々しい岩肌を見せる断崖には、日本海の荒波が打ち寄せる。壁面の鮮やかな赤色は、鉄分が酸化したもの。透明度の高い青い海と赤い断崖のコントラストは圧巻の一言。夕日が赤壁を照らすとより美しい。赤壁を海から眺める赤壁遊覧(4〜10月運航)も人気だ。

 赤壁からほどなく歩くとカルデラ湾を望む赤ハゲ山にたどり着く。春には野だいこんの花畑になる牧草地には、420頭の黒毛和牛が放し飼いにされている。

必ず引き分ける人情相撲
 島後の隠岐の島町では昔から神事として奉納相撲が行われてきた。現在では「古典相撲」と言われ、神社の遷宮や病院、学校など公共事業が完成したときだけ開催される。地区別に、強さと人格が備わった人物を力士として選出し、一昼夜掛けて取り組みを行う。

 古典相撲は、1回の取り組みで2番行う。1番は真剣勝負。勝った者は2番でわざと負け、必ず1勝1敗で終わらせるのが決まり。狭い島内でしこりを残さないための先人の知恵で、「人情相撲」とも言われる由縁となっている。

 古典相撲をテーマに描いた映画「渾身」のロケ地にもなった水若酢神社には、実際に古典相撲が行われる土俵が鎮座する。

 次に古典相撲が開催されるのは、同神社の20年に1度の屋根の葺き替えが行われる8年後の予定。古典相撲を見てみたい人は、神社の境内に隣接する五箇創生館へ。古典相撲や牛の相撲「牛突き大会」の迫力ある映像を見ることができる。

 また、神社のそばにある、隠岐郷土資料館には、島の人が竹島で漁を行っていた当時の貴重な写真や資料が展示されている。

後鳥羽上皇遠流の島
 隠岐は古くから配流の島として知られ、承久の乱で破れた後鳥羽上皇は晩年の19年間を島前の海士町で過ごした。住まいにしたとされる源福寺は明治の廃仏毀釈で取り壊されたが、跡地には石碑と小さな池が残されている。

 跡地のそばには上皇の遺灰の一部が祀られている後鳥羽上皇御火葬塚、後鳥羽上皇を祭神として崩御700年に建てられた隠岐神社、海士町後鳥羽院資料館があり、歌を詠むことが好きで、隠岐で700首詠んだとされる上皇の歌に触れられる。




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